【田中梓沙(上)】名付けは陰陽師?2人の兄の陰でひっそりの少女が頂点を目指すまで

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第41弾は田中梓沙(19=オリエンタルバイオ)が登場します。中2でジュニアグランプリ(GP)シリーズに出場、21年全日本ジュニア選手権5位などシングルでも活躍しましたが、23年から〝あずしん〟としてアイスダンスに転向。2024―25年シーズンはケガもありながらGPシリーズデビューを果たすなど飛躍を続けています。

3回連載の上編では、幼少期から競技者としての覚悟が芽生えた中学1年生までの道のりを掘り下げます。(敬称略)

フィギュア

◆田中梓沙(たなか・あずさ)2005年(平17)10月29日生まれ、京都府京都市南区出身。小2で競技を開始。京都光華中1年時の2019年に全国中学校大会で2位となり、同年のジュニアグランプリ(GP)シリーズ米国大会で国際大会デビュー。翌20年に全国中学校大会で2大会連続準優勝。京都光華高1年時の21年に全日本ジュニア選手権で5位入りし、同年末に全日本選手権初出場。2022―23年シーズンはケガなどの影響で主要大会に出場できず。23年5月に西山真瑚とカップルを結成し、アイスダンスに転向。同時に拠点をカナダ・モントリオールに移す。24年にGPシリーズ第4戦NHK杯出場。身長153センチ。趣味は小物集め。

モントリオールマギル通りから

カナダ・ケベック州モントリオール―。

ゴシック建築の代表格として世界的に有名なノートルダム大聖堂の程近く、マギル通りに面したカフェ「49thPARALLEL」で、田中は趣味の描画に興じる手を止めて物思いにふけっていた。

2023年5月に、西山とアイスダンスのカップルを結成。各国のトップカップルを輩出し続ける「アイス・アカデミー・オブ・モントリオール(IAM)」を拠点にして、1年と7カ月が経過していた。

手や肋骨(ろっこつ)などを負傷した影響で練習できない期間もあったが、4大陸選手権や全日本選手権、昨秋にはカップルとして初のGPシリーズとなるNHK杯など、さまざまな大舞台を踏んだ。振り返れば、短いようで、濃く、密な日々。

取り巻く環境の変化の中、「ダンスを始めてから自分も性格が変わったな」。ふと、そう思える瞬間がある。

全日本選手権アイスダンス・フリーの演技をする田中(左)西山組(2023年12月24日撮影)

全日本選手権アイスダンス・フリーの演技をする田中(左)西山組(2023年12月24日撮影)

店内に響く「Bonjour-Hi!」の声。

どこに行っても、初対面でも会う度に調子を尋ねられる。日本では異質なこの文化にも、もうすっかり慣れきっていた。

帰国するのは1年に数度だけ。ここでの生活は、驚く程自然になじんでいた。

碁盤の目のように区画整理されたアベニューも、主要エリアを結ぶバスや地下鉄の利便性も、街中に点在する歴史文化を色濃く残す観光地も、形などはまるで違えど、どこか地元をほうふつとさせた。420万人が暮らす、カナダで2番目を数える大都市だが、郊外に出れば緑もある。少し歩けば、ほおをなでる風が寒いけれど心地いい。

つい数年前まで、カナダで過ごしている自分など想像さえできなかった。喜びよりも、思い悩むことの方が多かったスケート人生。挫折も1度や2度ではなかったが、ここに来るまでの選択の数々は、決して間違いではなかったと言い切れる。

「来シーズンが、本当に自分たちにとっては勝負の年。来年の全日本に向けて『ここまでちゃんとやってきた』と自信を持って言えるような練習を積んでいきたいな」

後厄も終わりに近づいていた24年の冬。お気に入りのホットのアメリカーノをすすりながら、そんなことを考えていた。

全日本選手権アイスダンス・フリーダンスで演技する田中、西山組(2024年12月22日撮影)

全日本選手権アイスダンス・フリーダンスで演技する田中、西山組(2024年12月22日撮影)

自己主張が苦手な幼少期

シニアに転向したばかりの浅田真央がGPファイナルを制した2005年。早朝から冷たい雨が鴨川の水面(みなも)を揺らしていた10月29日に、京都市南区の田中家に長女として生を受けた。

名は「梓沙」。平安時代の陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明を祭る上京区の晴明神社で、神主から命名された。母は何個かの候補を持ち込んでいたが、全て断られたという。大人になった今では「みんな名前の由来を話せるのが、うらやましいんですけどね」と笑う。

晴明神社

晴明神社

京都のシンボルとして国内外から広く親しまれている五重の塔は、実家から徒歩10分もかからぬ場所にあった。世界遺産、教王護国寺。産声を上げてからカナダに移住するまでの18年間、平安京創設時から1300年近くあまたの栄枯盛衰を見届けてきた「東寺さん」に見守られながら、豊かな感性を育んでいった。

幼き日の田中梓沙(本人提供)

幼き日の田中梓沙(本人提供)

幼少期の劇的な記憶はほとんどない。専業主婦で常に側で成長を支えてくれた母に尋ねてみても、「あずは何をしていたっけ?」とすぐには答えが返ってこないほどだ。

家族5人全員がインドア派。3歳までは恒例だった夏の旅行も、既に脳裏にはない。物わかりが良くて、おとなしく、良くも悪くも平凡な子供時代だったと把握している。

もっとも、家族の話題の中心は、いつも2人の兄が独占していた。3年先に生まれていた長男の大喜、その翌年に誕生した次男の久登は、田中とは正反対の性格だった。

後に美術系の大学に進むことになる大喜は、当時から絵を描くことに傾倒しており、下2人の学校の宿題プリントにはいつも、そこかしこに大喜の落書きがあった。長男が奔放だった一方で、現在は医学部4年生の久登は熱心な勉強家。そんな互いに性質の違う年子の兄弟が気に入らなかったのか。男2人、目を合わせれば途端に殴り合いのけんかが始まる。それが、子供の頃の日常風景だった。

「とりあえず、お互いのことは気に食わなかったんでしょうね。2人の中学時代は、家がつぶれるんじゃないかってくらい激しかったんです。一緒に家に置いておくことはできないほどでした。そこに私が止めに入って、被害を受けるみたいな感じ(笑い)」

物は飛ぶ。障子は破れる。ドアは壊れる。軒を連ねる祖父宅へ続く裏戸は、今も鍵がかからないありさまだ。「今はみんな仲良しです」と笑って回想するが、当時は「本当にいやでしたね」。可能な限り兄たちを刺激しないよう、ひっそりと物影に隠れるように暮らした。それだからか、いつからか自己主張が苦手になっていた。

幼き日の田中梓沙(本人提供)

幼き日の田中梓沙(本人提供)

そんな奥手な少女時代に、1度だけ自らの意思をはっきりと示したことがある。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市生まれ。2021年4月入社。高校野球の神奈川担当などを経て、同年10月からスポーツ部に配属。バトル班として新日本プロレスやRIZINなどを担当し、故アントニオ猪木さんへの単独インタビューや武藤敬司氏の引退試合、那須川天心―武尊などを取材した。 23年2月から五輪班に移り、夏季競技はバレーボールを中心に担当。同年秋のW杯や24年夏のVNLなど。冬季競技はフィギュアスケートをメインに務め、全日本選手権は2年連続で取材中。X(旧ツイッター)のアカウントは「@kotakatsube」。