【中井亜美〈上〉】故郷で育んだ負けず嫌いの夢「何事にも絶対に」目指し続けたNo.1

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第49弾は中井亜美(17=TOKIOインカラミ)が登場します。MFアカデミーに拠点を移したばかりの22年に中2で全日本選手権4位となり、翌23年世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。今季も3年連続で出場したジュニアグランプリ(GP)ファイナルで3位になるなど、成長著しいホープです。

3回連載の上編では、原点となった新潟での幼少期を回想。スケートを始めるきっかけとなった浅田真央への憧れや、トリプルアクセル(3回転半)習得までの軌跡を描きます。(敬称略)

フィギュア

◆中井亜美(なかい・あみ)2008年(平20)4月27日、新潟市生まれ。5歳で競技を始め、18年の全日本ノービス選手権Bクラスで優勝。21年の中学校進学を機に拠点を千葉県船橋市のMFアカデミーに移し、中庭健介に師事。同年ジュニアからの推薦で全日本選手権初出場。中2の22年に全日本選手権で4位となり、23年世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。通信制の勇志国際高に進学した2024―25年シーズンは、3年連続で出場したジュニアGPファイナルで3位。25―26年シーズンはシニアに転向し、26年ミラノ・コルティナ五輪出場を目指す。趣味はK―POPで、宝物はNiZiUのライブでキャッチしたMAYUKAのサインボール。血液型O。150センチ。

傘を手に、笑顔で写真に納まる幼少期の中井(本人提供)

傘を手に、笑顔で写真に納まる幼少期の中井(本人提供)

新潟出身 運動会はアンカーにこだわり

日本海の波音と信濃川のせせらぎが響き合う、情緒あふれる人口76万人の港町・新潟市。高い都市機能と豊かな自然が共存する魅力的な土地として、古くから町人や文化人をはじめ多くの人々に愛されてきた。

中井にとっても、そこは夢と情熱の原点だ。生まれ育った場所。千葉県船橋市に拠点を移して今年で5年目を迎えたが、地元の空気は特別な形となって胸を揺さぶる。

「この前、久しぶりに新潟に帰って、5年ぶりに小学校の頃にすごく仲良かった女の子2人と会ったんです。みんなJK(女子高校生)していて、すっごく楽しそうでした」

自分もこの場所に残っていたらどうなっていたのだろう。

帰省すると、ふとそんな考えが頭を巡ることがある。キラキラと弾けるような「普通」の17歳の青春に、憧憬(しょうけい)を抱くこともある。

だが、氷の上で世界に羽ばたくトップスケーターへと押し上げたのも、間違いなくこの故郷に他ならなかった。

ポーズを決めて写真に納まる幼少期の中井(本人提供)

ポーズを決めて写真に納まる幼少期の中井(本人提供)

2008年4月27日。中井家の次女として生まれた。早朝から降っていた雨はいつの間にか上がり、晴れ間がのぞき始めていた。

名前は「亜美」。両親からは「明るく、美しい人になってほしい」という思いが込められた。

幼少期から、トップアスリートになるための重要な素質を持っていた。それは、勝利への執念。大の負けず嫌いだった。

「お正月に家族でトランプやカルタをよくやっていたんですけど、本当に負けたくなくて。負けたらめっちゃ泣いていました。本当に何事でも絶対に負けたくなかったんです」

かけっこでも、誰よりも速く走りたかった。小学校の運動会では、リレーの花形、アンカーにこだわった。

自営業の傍らで、スポーツを趣味としていた父は、良き理解者で良きコーチだった。正しい走り方を教えてもらいながら、公園でひたすら練習に打ち込んだ日々を覚えている。

「公園で何度も何度も走り直したんです。汗だくになって、でも負けたくなくて。絶対に1番になりたかったんです」

その情熱が最も輝いた場所は、陸上ではなく氷の上だった。

4歳で憧れた「真央ちゃん」の姿

スケートを始めたのは5歳の時。新潟市に新しいリンクができたことがきっかけだったが、憧れの火種はもっと以前から生まれていた。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市生まれ。2021年4月入社。高校野球の神奈川担当などを経て、同年10月からスポーツ部に配属。バトル班として新日本プロレスやRIZINなどを担当し、故アントニオ猪木さんへの単独インタビューや武藤敬司氏の引退試合、那須川天心―武尊などを取材した。 23年2月から五輪班に移り、夏季競技はバレーボールを中心に担当。同年秋のW杯や24年夏のVNLなど。冬季競技はフィギュアスケートをメインに務め、全日本選手権は2年連続で取材中。X(旧ツイッター)のアカウントは「@kotakatsube」。