【箱根駅伝story】「タイプじゃない」順大・三浦龍司はなぜ主将に立候補したのか

なぜ三浦龍司(4年)は主将になったのか-。

6月1日開幕の日本選手権(大阪)で3000メートル障害に出場する順天堂大(順大)・三浦は、今季から藤原優希(4年)とともに駅伝チームの「共同主将」に就任しました。21年の東京オリンピック(五輪)で7位入賞し、昨夏の世界選手権(米オレゴン)にも出場したトップランナーは、自ら主将に立候補したといいます。

その決断に至った理由、主将に就任したことで生じた変化に、本人やチームメートの言葉を通じて迫ります。

陸上

3000障害で東京五輪7位 日本中距離界の星

東京五輪男子3000メートル障害で7位入賞。一時トップで集団を引っ張り、世界を驚かせた

東京五輪男子3000メートル障害で7位入賞。一時トップで集団を引っ張り、世界を驚かせた

三浦龍司(みうら・りゅうじ)

2002年(平14)2月11日、島根県浜田市出身。浜田東中-京都・洛南高。男子3000メートル障害では、洛南3年時の高校総体近畿大会で30年ぶりの高校記録更新となる8分39秒49をマーク。20年春、順大に入学し、その年の箱根駅伝予選会でハーフマラソン1時間1分41秒のU20日本最高記録をマークし、日本人トップ。21年東京五輪男子3000メートル障害では8分16秒90の記録で7位入賞。自己ベストは5000メートル13分26秒78、1万メートル28分32秒28。3000メートル障害8分9秒92は日本記録。

穏やかな口調で語った就任の経緯

その肩書は、自ら望んだものだった。

2023年3月25日。埼玉県所沢市の早稲田大学織田幹雄記念陸上競技場。

「TOKOROZAWAゲームズ」の3000メートルで4位(7分58秒61)となった三浦龍司は、クールダウンを終えると、競技場のベンチに腰かけた。

防寒着の袖口を、細い指でギュッと握る。穏やかに声を発した。

「僕自身はやりたい気持ちもあって、チームにも言っていたんですけど」

話し始めたのは、新チームの主将を志願した理由。白い歯をこぼしながら、自らを客観視した言葉を続ける。

「僕は全然引っ張っていくタイプじゃないなって思っています」

午前のレースで降り続いていた雨は、正午すぎにピタリと止んだ。灰色の雲の隙間から、春の陽光が差し始めた。

3月25日、TOKOROZAWAゲームズで男子3000メートルに出場、4位でゴールした三浦

3月25日、TOKOROZAWAゲームズで男子3000メートルに出場、4位でゴールした三浦

「意外…」他校にも驚かれた決断

1月の箱根駅伝で総合5位となった順大は、新チーム発足後、三浦と藤原優希(4年)の2人が主将に就いた。「共同主将」という体制である。

主将が国内外を転戦する三浦のみとなれば、チームの維持が難しくなる。そこで、箱根路で9区を担った藤原も主将に就任し、2人でチームをけん引することとなった。

三浦の本職は3000メートル障害。21年東京オリンピック(五輪)では同種目で7位入賞を果たし、昨夏は世界選手権(米オレゴン州)にも出場した。大学4年となった今季も、世界最高峰のダイヤモンドリーグ(DL)や世界選手権での活躍を見据えている。

さらに性格的にも、「全然引っ張っていくタイプではない」と自覚している通り、闘志を前面に押し出す感はない。

それだけに、主将への就任は驚きをもって受け止められた。

早大・菖蒲敦司駅伝主将(4年、写真)は、同じ3000メートル障害の実力者。三浦とは同学年ということもあって、かねて親交がある。

4月2日の六大学対校では、三浦に対し「ライバルというよりは尊敬」と敬意を払いつつ、主将就任への驚きを口にしていた。

本文残り73% (3178文字/4359文字)

岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。