【宇都宮ブレックス〈7〉】四家魁人か河村勇輝か、比較された中学時代 そして米留学/2

ただただ、バスケットボールがうまくなりたい。情熱に突き動かされ、四家魁人(22)は中学3年生の時、恩師を追って故郷いわきから150キロ離れた福島県北部の中学校に転校しました。周囲の厳しい視線に耐え、成長していくなかで、尊敬する先輩、猪狩渉(27=仙台89ERS練習生)が米留学から帰ってきます。大きな刺激を受けた四家はアメリカでプレーすることを誓い、新たな目標に向かってまい進しますが…。同い年の河村勇輝(22=横浜ビー・コルセアーズ)との縁もご紹介します。

バスケットボール

群馬とのリーグ開幕戦で味方のプレーに笑顔を見せる四家魁人

群馬とのリーグ開幕戦で味方のプレーに笑顔を見せる四家魁人

恩師の中学へ転校、全国出場に導く

いわきの中央台北中学校から、国見町の県北中学校に転校した直後のこと。強豪校との練習試合のため、四家たちは新潟遠征に出掛けた。ある試合中、四家は珍しく足をつり、代えて欲しそうにヘッドコーチの丹治靖先生(49)の方をみた。丹治先生はこう言って四家を突き放した。

「これがおまえが選んだ道だ。代わりはいない。足をつっている場合か! もっとトレーニングしろ!」

いわき市内のレベルの高い選手が集まっていた前のチームと違い、新しいチームは選手間のレベルの差が激しかった。四家と同時に福島県選抜クラスの選手が2人加わっていたが、それでも3人。丹治先生は「強豪校と試合すると、実質3人対5人でした」と振り返る。

バスケットボールをかじったことがあれば、「実質3対5」がどれだけ厳しい状況か分かるだろう。しかも四家たち主力がずっと出続けなければチームは勝てない。ただただ丹治先生のもとでバスケを続けたい思いからの転校決断ではあったが、想像以上にしんどい道ではあった。

さすがのバスケ大好き少年も弱音を吐きたくなることもあった。そんな四家少年を身近で応援し続けていたのが、母方の祖父母だった。孫が転校したあとも、試合のたびにいわきから車を走らせ、応援にかけつけた。いつも穏やかに見守ることが多かった祖父が、ある時、こう言った。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。