寺尾が愛したちゃんこを作った男 元パティシエ力士・臥牛山の人生

前回の「イチロー大相撲」では、錣山部屋のちゃんこを紹介しました。

部屋のちゃんこに貢献してきたのは、「元パティシエ力士」こと臥牛山(39)。元関脇寺尾の錣山親方から信頼され、昨年12月に師匠が亡くなった際も、病室で看取りました。

最期の1日の様子も含め、「ちゃんこ」とともに歩む人生をここに記します。

大相撲

臥牛山朝猛(がぎゅうさん・ともたけ)本名・鈴木拓也。1984年(昭和59年)3月19日、新潟県村上市生まれ。調理師専門学校を卒業後、調理師として岐阜県のホテルで勤務。22歳だった2004年1月、錣山部屋に入門し、同年春場所初土俵。通算233勝244敗。最高位は西三段目79枚目。33歳だった2017年秋場所限りで引退。村上市に戻り、地域おこし協力隊を3年務めた。現在は村上市役所荒川支所に勤務しつつ、任意団体「柳遊会(りゅうゆうかい)」を立ち上げ、地域おこし活動に取り組んでいる。

師匠に捧げた最期のちゃんこ

2023年12月17日朝。臥牛山は、元土佐颯の畑山勝さんから連絡を受けた。

「師匠が危篤状態です。今、地方にいる人たちに連絡をしています」

その後、錣山親方の息子、福薗晴也さんからも電話が来た。

「最期かもしれないので、東京に来て話してやってください」

この日は午前11時から午後0時半まで「ちゃんこ鍋の日」と題した地域のイベントが控えていた。

師匠が危篤-。考えるほど、落ち着けなかった。だが、臥牛山が作るちゃんこを待っている子どもたちがいる。師匠なら何と言うだろう。

「こっちに来ないで、ちゃんとやれ」。そう言われそうな気がした。

イベントを終え、午後4時半発の上越新幹線「とき334号」に乗り込んだ。

午後6時40分、東京着。さらに乗り継ぎ、東京・三鷹市の病院に駆け込んだ。

師匠の家族、阿炎や若い衆、師匠と懇意にしていた人たちが集まっていた。

午後8時27分、死去-。臥牛山が着いてからすぐのことだった。

医師による死亡確認が終わると、誰かが言った。

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。2023年11月から、日刊スポーツ・プレミアムの3代目編集長。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。 X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで、大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。