【再建ワセダの箱根を追う〈9〉】「絶対的エース」を狙う男が知った駅伝の力/2、3区
早稲田大学競走部は、48回連続93度目となる箱根駅伝を総合7位で終えた。OBの名ランナー花田勝彦(52)を監督に迎えて2季目。「-Rebuild-再建ワセダを追う」と題し、優勝13回の名門の再建に取り組むチームを追ってきた連載は箱根路での闘いを描く。第9回は2区の山口智規(2年)が味わった駅伝の本質、3区の辻文哉(4年)が貫いてきた信念を描く。(敬称略)
陸上
渡された力水
不思議な感覚だった。
「走らせてもらっている」
山口は初めての箱根路、エースが集う花の2区の真っただ中にいた。
13キロ過ぎからの権太坂の上り、幾多の名ランナーをのみ込んできた箱根の難所を越えた代償で、疲弊感が心身をむしばんでいった。
「ほんとに良い走りをしてるから頼んだぞ! あと8キロ!」
15キロ過ぎだった。苦悶(くもん)に寄り添う声があった。
給水地点、担当したのは4年生の濱本寛人だった。力水を手渡され、その背中に熱い思いを受けた。
「濱本さんは4年生で1人だけメンバーを外れていたんです。最後までサポートしてくれて、本当に心にくるものがありました」
高揚感、感謝、使命感。数値化はできないような形而上学的な要因かもしれない。ただ、確かに足は動いた。この舞台に立つために支えてくれた周囲の顔が浮かぶ。なぜだか元気になった。
駅伝の本質。そんな事を実感するような時間の訪れだった。
エースと呼ばれるために
クリスマスに始まったインフルエンザ禍。同じ寮内暮らしゆえの発症の恐怖があった。
それは山口にも。ただ、他選手より確率は低いとも考えていた。
集団の設定ペースでは余裕があるため、単独走での練習が増えていったのが今季、特に後半だった。箱根が迫っても、それは同じ。
山口、伊藤大志、石塚陽士。3人が「上の3人」と呼ばれ、エース格としてチームをけん引する中で、駅伝シーズンに入って、よりエースと呼ばれたい自覚は鮮明になった。
「『山口がエース』、そう呼ばれるようになりたい」
1人走る道の先に、その断言を追い求めた。
危機で迎える箱根。だからこそ、一層の気概は満ちた。
「やってやる!」
チームが全日本大学駅伝を10位で終えてシード落ちとなった停滞感の中、1週間後の上尾ハーフマラソンも同じだった。
全体3位、学生2位、日本人トップでゴールまで駆け抜けた。1時間1分16秒は、2010年に大迫傑が樹立した1時間1分47秒の早大記録を31秒も更新する13年振りの新記録だった。その結果が何よりもチームに勇気を与えていた。
「僕がチームを引っ張っていかないといけない」
いよいよ、存在証明の時間がやってくる。1区の間瀬田の姿は、先頭を行く駒澤大の後方に小さく見えてきた。
「マジかよ」
同学年の実力を信じるがゆえに、5番前後で来ると考えていた実際は、首位から52秒遅れての12位。ただ、覚悟は一層固まった。
「やるしかない」
タスキを受け取り、駆けだした。
前を追う。
「前半はきつかった」
あえて突っ込んで、6・5キロ過ぎに5位集団に追いつく。そこから苦しさが増した。
「ちょっと後悔もしました」
弱気が顔をのぞかせるうちに、青学大の黒田朝日(2年)が先を行った。10キロ過ぎにはペースが落ち着くとにらんだが、そこからは誰も離脱していかない。
「自分で離れるしかない」
覚悟を決めて、前に出た。
海外遠征の価値
「早稲田から世界へ」
花田が指揮を執るようになって、あらためて掲げる部の哲学だ。
昨年2月に実施し、2025万円を集めた部史上初のクラウドファンディングは、その伝統には欠かせない海外遠征を行う事を主たる目的とした。
他大学と開く強化費の改革の一手。再建に向けた新たなフェーズを象徴する施策によって、9月、チェコ・プラハの市街地を走る10キロレースに派遣したのが「上の3人」だった。
山口はそこで、優勝したエチオピアのウォルクと交流する機会があった。21年のU20世界選手権3000メートル覇者、5000メートル銀メダルの実力者は、日本の大学で言えば2学年上。1万メートルで27分を切る猛者でも、国の代表にはまだ届いていない現実を知った。
「僕はまだ甘い」
その実感が、秋以降の1人だけのハイレベルな練習につながっていった。
花田自身も、レース以外での「出会い」こそが海外遠征の価値の1つだと考えていた。
上尾の力走、早稲田記録を塗り替えた姿に成果を感じた。重要なのは箱根の本番だとは理解しながらも、支援してくれた人々に対する責任から安堵(あんど)もあった。種をまいた強化策から、確かに芽が出てきたと実感できた。
山口自身は、「世界へ」を体現してきた先輩ランナーたちをライバル視していた。
「全部、『山口』にしたい」
上尾でハーフは塗り替えた。5000メートル、1万メートル、そして箱根駅伝。リミットが決まっている大学生活で、「早稲田」としての歴代最高を刻むのは、視線を世界標準にすれば当然だった。
駅伝だからこそ
権太坂にかかり、練習と同じような単独走になった。
「集団で合わせるよりは自分のリズムで。上りは自分のリズムで行った方が絶対楽って思ってたので、冷静に判断できたのは良かったなと思います」
登り切り、下りへ。濱本からの給水に再び力はみなぎった。
前方に上位選手の背中は遠くとも、ひたすらに足を回した。
「世界の扉が開いたな!」
運営管理者の花田からの声が届いたのは20キロを過ぎ、4位を争う城西大の斉藤将也(2年)と並走し始めてからだった。
既に花田が設定したペースを上回り、12位から7人を抜いてきていた。
「世界」
そのキーワードが拡声器を通して、また1つ背中を押した。斉藤を振り切っていく。
見えてきた戸塚中継所。
辻文哉(4年)が待っている。4位でタスキを渡した。
1時間6分31秒、8人抜きの快走。渡辺康幸の持っていた1時間6分48秒の早大記録を29年ぶりに更新してみせた。
また1つ、偉大な先輩を追い抜いた。
そして、走り終えて、もう1つのうれしさが込み上げた。
「辻さん、最後の箱根駅伝なんですけど、もうずっと悔しい思いをし続けて。やっとつかんだチャンスだったので、もう楽しんでほしいです!」
背中を見送って報道陣に話を振られると、そう声を弾ませた。
ずっと、地道に、小さいことをサボらずに努めている先輩の姿を見てきた。
冬になり単独での時間が過ぎても、その存在がチームを引き締めているのは肌で感じていた。そして、自分への律する力にもなった。
濱本も一緒だ。
実際に、その先輩から力をもらって、2区で記録を残せた。それはトラックでは味わえない経験、何より「チーム」を感じられる瞬間。
「駅伝の良さですよね」
感じ入ったように言った。
世界を目指す中に、どう箱根が組み込まれるのか。初めての箱根路で、山口は2つが相反するものではなく、共存して自らの可能性を押し広げてくれるものと受け取った。
孤高かもしれないが、孤立はしていない。
大学だからこそ、得られる力がある。それを知った23・1キロになった。
■■■■■2区 山口(区間4位)4位で3区辻へ■■■■■■
自然体の決意表明
12月16日、所沢キャンパスで行われた合同取材会。各メディアが集合し、監督、選手の言葉を聞く機会だ。
いまでは各大学の日時がなるべく重ならないように各主務などで調整がなされるため、多くの取材陣が訪れる。この日の所沢も例に漏れずだった。
大教室を使って全体での取材会のその後は、各教室に数人の選手が分かれ、おのおのが応答する形となった。
泰然。
辻の応答に抱いた印象だった。
「全力を出し切って楽しみたいんですよね」
最上級生にして初めての箱根の可能性がある。1年の全日本大学駅伝の1区で従来の区間記録を上回る快走を見せてから、一度も駅伝シーズンにその姿はなかった。
箱根では1年は1区でエントリーに入ったが直前の故障で当日変更。2年も故障に泣いてメンバー外、3年は10区でエントリーも当日変更。
ラストチャンスの最終学年は、12月上旬の日体大記録会の1万メートルでセカンドベスト(29分8秒11)をマークし、全日本選手権前に発症した胃腸炎の長引く影響を拭い去るような結果で、残り1カ月で調子を上げているところだった。
「結構ずっと惜しいとこでうろうろしてるような感じだったんであれですけど。走ってみて、『長かったな』って思うかもしれないし、なんだかんだ、そんなに今は長いこと苦労してきたなみたいな気持ちはないですね」
こちらの想定を裏切るように、強い言葉での決意表明はなかった。むしろ、自然体。
「全力出しきれないと、なんだろう、楽しくないまま『ちょっとダメだったな』で終わっちゃうと思うので。もうとにかく100%を出しきって、結果として楽しめたらなって感じですね」
良い意味で肩の力が抜けている。過不足ない気構え。
「練習通りに100%の力を出し切ることができるのは自分の強みなので」
その長所こそ、窮地のチームにあっての最善の薬となっていくことになった。
小事こそ大事
3区と花田から伝えられたのはクリスマスだった。
間瀬田と山口が上位でつないでくる。それをいかに上位で耐えきれるか。
課せられた任務は分かっている。
全日本選手権で10位に終わりシード落ちをした1週間後に行われた全体ミーティング。その開催の前に各学年で話し合って、現状分析、箱根までの取り組みで重視していく事などを討議した。
「四の五の言わずに頑張るしかない。あと2カ月しかない。個々人がやるべき事をしっかりやろう」
辻の姿勢は1年の頃から変わらない。だから、自信を持って言いきれる。
「小さいことも真面目にやってるかなとは思うので。そういうところで、行動で示してるんじゃないかなとは思ってます。ちゃんとやる事で、僕が何か言った時に、『あいつ、あれ、できてないのにな』とか思われないようにっていうところは、日々やってるかなと」
特別にプラスで何かをするのではなく、チームとして課されるルールなどをきっちり行う。「別に廊下が汚かったら言うくらいですよ」
自らが全うしているからこそ、他人に何かを言うことは余計にはしない。ただ、周囲はそんな姿を見ていた。
全日本選手権後の全体ミーティング。2年生代表で山口が言った言葉がある。
「1人1人が、自分がそれぞれしっかりやれば、誰かでできてない時にちゃんと言える。まず個人がしっかりやりましょう」
それは辻が日ごろ考えていたことと共通していた。山口がタスキを渡すときに見せた喜びは、その象徴が辻だったからかも知れない。
届いた声援
「山口がいい位置で持ってきてくれたので、僕もなんとかいい位置で渡そうと思いました」
4位で受け取った。粘る、それしかない。
5位の城西大とは17秒差、6位の東農大とは24秒差。頼もしい後輩がくれたアドバンテージに、するべき仕事が明確だった。
「追いつかれたら集団で」
その想定通りに決して得意ではない下り基調の前半を進む。東洋大、日大などが迫り、やがて集団走となったが、冷静沈着。12キロ付近からは海沿いの長い直線道路での競い合いとなる中で、淡々とペースを刻んだ。
花田の設定したタイムは1時間2分45秒から1時間3分20秒。
「彼の力以上のところに設定していた」
理由は前監督の相楽の言葉だった。
「辻は本番になったら走る」
相次ぐケガに泣かされながら、この4年間の地道な頑張りを見続けてきた前指揮官の言葉を信じての起用、そして期待の設定だった。
そして、辻はそれを超えていく走りを見せていた。15キロ以降は仕掛け合いの展開となっていく。
「辻!」「文哉!」
沿道から声が飛ぶ。
「『早稲田』ではなく、自分の名前を呼んでくれる人がいて。僕の事を応援してくれる人がいるんだなって。うれしかったですね」
その姿を見ていたのはチームメートだけではなかった。そんな声にも最後まで力をもらった。
記録は1時間2分39秒、区間7位、順位は7位で平塚中継所に飛び込んだ。4位の日大とは8秒差、5位の東洋大とは7秒差、6位の国学院大とは6秒差。最後こそわずかに後れを取ったが、「粘る」、その一点において満点以上の仕事だった。
「ラスト勝ち切って石塚に渡したかったな」
わずかの悔しさを抱きながら、ただ最初で最後の箱根路はこの4年間を肯定してくれる結果となった。
「楽しみたい」
その目標は成就させた。そして、タスキを渡した相手を思った。早稲田実業高の1学年後輩の石塚、その秋シーズンに苦しむ姿を見てきた。
「力を出し切ってくれ」
心から願った。
■■■■■3区 辻(区間7位)7位で4区石塚へ■■■■■■
(つづく)
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阿部健吾Kengo Abe
2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。
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