競輪記者も、選手のように“あっせん”が入る。会社の上司から、翌月の予定がメールで送られてくるシステムだ。基本的には所属地域の競輪場に取材に向かうことが多いが、2月に松阪、3月は四日市と中部地区の遠征に行ってきた。

昨年9月にリニューアルされた松阪競輪場の検車場の入り口の壁には、まるでフォトスポットのようなかわいらしいデザインが施されている。ガールズ開催でもあり、選手がいろんなポーズを決めてくれて華やかな紙面になった。昨年からミックスゾーンという報道陣への規制が始まり、検車場内への立ち入りや撮影がNG。いつも棒立ちやガッツポーズばかりで面白みもなかったので、こういった取り組みはありがたい。

久米詩もばっちりとポーズを決めてくれた
久米詩もばっちりとポーズを決めてくれた
又多風緑は“映える”撮り方を熟知している
又多風緑は“映える”撮り方を熟知している

仕事前には、萩原操さんと一緒に食事に行く機会もあった。当時のS級最年長記録を数多く樹立するなど、長らく一線級で活躍したレジェンドだ。22年5月に突然の引退を発表後、2年ぶりの再会だった。「引退してからロードレーサーを2台買って、たまに練習しているところを選手に見つかったりするけどな(苦笑)。今度はゴルフのツアーに挑戦してみようと思ってる」と還暦を迎えてもなお、現役時代と変わらずバイタリティーに満ちあふれていた。萩原さんは、多くの弟子を輩出した名伯楽としても有名だ。ガールズでも、太田美穂、瑛美の2人をトップクラスの選手に育て上げた。近沢諒香も萩原チルドレンの1人。「操さんがいなかったら、私は選手になれていなかったと思う。この前は、バレンタインも持っていったんですよ」と、今でも師匠への感謝を忘れていなかった。

近沢諒香は今でも師匠への感謝を口にする
近沢諒香は今でも師匠への感謝を口にする

3月四日市の「日刊スポーツ賞」は浅井康太、平原康多の“Wコウタ”に村上博幸まで加わる超豪華メンバー。初日から雪が舞うほどの極寒のコンディションにもかかわらず、多くのファンが詰めかけた。

準決で平原が脱落する波乱もあり、6人が勝ち上がった中部勢が別線勝負になった決勝は、浅井康太が貫禄の完全V。意外にも、これが実に13年ぶりの地元F1戦での優勝だった。レースを終えた浅井は「僕も深谷(知広)と別で走ってG1で戦える力を付けていった。決勝で志田(龍星)と纐纈(洸翔)が別線で走ったのも意味がある。今の近畿勢のように(山口)拳矢や(藤井)侑吾たちも一緒になって力を競い合う形になれば」と、中部復権への旗頭としての役割を強く意識していたのは印象的だった。何より、表彰式まで残って浅井に声援を送り続けた四日市のファンの“熱”を肌で感じたアウェー遠征になった。【中嶋聡史】

浅井康太(左)はA級優勝の下岡将也とのアベックVを喜んだ
浅井康太(左)はA級優勝の下岡将也とのアベックVを喜んだ