平原康多(39=埼玉)が“準地元”で17年全日本選抜(取手)以来4年ぶり8度目のG1制覇を成し遂げた。番手まくりの新田祐大にスイッチし、直線鋭く差し切った。これで9年連続12度目のKEIRINグランプリ(GP、12月30日・静岡)出場が決定。先にGPを決めていた同県の後輩・宿口陽一とともに、競輪祭を経て年末の大一番に臨む。史上4人目のグランドスラムを懸けた新田は2位入線も失格となった。

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地元が後押しした。平原は「震えるような声援で、すごい力になった」と感謝した。中学2年まで弥彦の隣の岩室村(現新潟市)で育った平原にとって、ここは地元も同然。連日、親戚、知り合いが駆けつけ、熱いエールを送っていた。「まずは親孝行できて良かった」と、父康広氏(28期、引退)を思って爽やかな笑顔を見せた。

関東の絆も大きな勝因だ。前を任せた吉田が新山に突っ張られると、新田後位の菅田をきめてから吉田を迎え入れるファインプレー。今度はその吉田が苦しい中で仕掛け、不発に終わると平原は、新田にスイッチして差し切った。「拓矢が気を使ってくれた。(3番手)諸橋さんの落車は残念だったが、2人に感謝です」と頭を下げた。

17年全日本選抜を制してからの約4年半は苦闘の日々だった。良くなりかけては落車の連続で、どうしてもG1に手が届かなかった。この間には「すごくかわいがってもらった」という地元埼玉の大先輩・伊藤公人氏の死去(18年9月2日、享年61)という悲しい出来事もあった。「この場所(G1優勝)に戻ってこられて幸せです」。万感の思いがこもっていた。

これで今年もGPが決まった。6月高松宮記念杯Vの宿口陽一は「全身鳥肌の興奮でした。平原さんと一緒にGPを走れるのは幸せの極み」と感激した。平原も「宿口のおかげで、関東を1人で背負うという肩の荷が下りたのも良かったかな。GPが楽しみです」と力を込めた。30代最後の年末、輪界の頂点に立つ夢が現実味を帯びてきた。【栗田文人】

◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭和57)6月11日生まれ、埼玉県狭山市出身。川越工高で自転車を始め、競輪学校(現選手養成所)87期生として02年8月プロデビュー(西武園1<2>(9))。09年高松宮記念杯でG1初制覇し、今回が17年全日本選抜以来の8勝目。1355戦433勝。通算獲得賞金は13億8753万4100円。185センチ、95キロ。血液型A。

◆GP出場争い 今年のG1を制した郡司浩平、松浦悠士、宿口陽一、古性優作、平原康多の5人が確定。7位の佐藤慎太郎までほぼ安全圏で、競輪祭は優勝者を含めて1~2枠の争いとなりそうだ。準Vで賞金が1836万円、3位でも1200万円(ともに副賞含む)あり、11位の浅井康太までは賞金で射程圏内。東京五輪代表の新田祐大と脇本雄太は、競輪祭優勝しかGP出場へ道はなくなった。