各球団からそれぞれの主力を集め、短期間で世界一を目指すために結束させる。侍ジャパンの監督には統率力も、求心力も必要になってくる。原さんは、相互信頼を確認し、優勝という大目標を掲げた。そして、大会中に刻々と変化するチーム事情を把握。状況に応じてやり方を変えることにちゅうちょしなかった。

 原さん いざ戦いが始まれば、最初の計算通りにはいかない。調子のいい選手もいれば、体調を崩す選手も出てくる。だから、戦いの中で「改める」ということが大事だった。勇気をもって「改める」ことを決断しなければ、目標は達成できない。

 短期決戦の国際大会では、ケガや不調で実力を発揮できずに終わるケースもある。サッカーにおいても本番前の強化マッチで不安材料が噴出することは過去にもあった。

 10年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会では、それまでの攻撃的システムから、大会初戦までに、守備的布陣に変更している。直前の強化マッチとなったコートジボワール戦も、イングランド戦も、攻撃に手応えがなく、チームは自信を失いかけていた。

 当時の岡田監督は初戦のカメルーン戦まで時間がない中で、キャンプ地の南アフリカ・ジョージに急きょジンバブエ代表を呼び寄せ、そこで4-1-4-1の超守備的システムを試した。中盤のアンカーにMF阿部勇樹を配置。メディアはシステム変更を弱気と批判した。カメルーンは世界的ストライカーのエトーを擁しており、日本苦戦が大方の予想だったが、1トップ本田の得点で相手の猛攻をしのぐ。初戦を取った日本代表は、海外で開催されたW杯で初の決勝トーナメント進出を果たした。

 WBCで決勝ラウンドを戦う中で原監督が決断を迫られたのは、クローザーの変更だった。

 原さん 準決勝(米国戦)の先発は松坂、決勝(韓国戦)は岩隈と決めていた。先発の後は、中継ぎで杉内が申し分のないピッチングをしていた。素晴らしかった。だから杉内へつなごうと。ただ、抑えの藤川の調子が上がらなかった。杉内の中継ぎがきちっとはまっていたからこそ、抑えをどうするか、そこが懸案だった。

 松坂と岩隈の2枚を投入し、世界一への布石は整っていた。そこで抑えに先発陣のダルビッシュを抜てきする。

 原さん 俺はダルビッシュに期待した。決勝ラウンドを戦うにあたり、ダルビッシュの力量、チーム内での彼の役割からして、(先発としての出番がない)ダルビッシュが休んでいる時間はなかった。説得を始めた時、彼は「経験がありません。自信がない」と困惑していた。

 原さんは結論を急がず、ダルビッシュに時間を与えた。「分かった、また明日話そう」。そして翌日、原さんはダルビッシュのハートを揺さぶる言葉で一気に口説き落とす。「お前の痛みは俺の痛みとして分かっている。俺も一緒に戦う」。この言葉でダルビッシュの不安は霧散する。「やります」。ダルビッシュも腹をくくった。

 決勝の韓国戦、1点リードの9回裏、ダルビッシュは2死一、二塁から同点打を許すも、その後のサヨナラの大ピンチを抑える。その時、原さんは9回裏をしのいだダルビッシュに向かってベンチで明るく声をかけた。「よく1点に抑えたな、いいぞ!」。そうやってダルビッシュのテンションをマックスへと引き上げていった。

 原さん 弁舌はとても大切。選手は乗せてやらないと。選手のミスを待って交代を決めるような「ミス待ち」の起用じゃ、選手は乗ってこない。

 戦況に応じて戦い方は変わる。用兵にも変化は出てくる。その時こそ、監督の決断力がものをいう。そしてひとたび決めたなら、弁舌爽やかに説き伏せ、そして一気呵成(かせい)に物事を進めていく。過ぎた場面を悔やんでいる時間はない。もう、日本代表にも、西野監督にも、後ろを振り向いて逡巡(しゅんじゅん)している時間はない。【井上真】(つづく)