年明けから20年東京五輪に向けて森保ジャパンが本格的にスタートした。森保一監督(49)がU-21日本代表を率いて初めての公式戦となるU-23アジア選手権中国大会に参加。結果は、江蘇省江陰市で1次リーグ3試合、決勝トーナメント1試合の計4試合し、ベスト8で敗退した。江陰で得た経験は必ず2年半後、生きてくるだろう。

 私は実際現地に行って大会を取材してきた。江陰は大きな都市ではないが、とても穏やかな街だった。U-21日本代表が試合をした江陰スタジアムから車で30分ほどのところには「華西村」(江陰市)という中国で最も裕福と言われている村があり、1人当たりの年収は約1億5000万円にも上るという。もとは農村だったが、1970年代に金物工場を設立。工業進出が成功して急発展を遂げたといい、1960年代は1600人ほどだった人口も3万5000人を超えるようになった。村民には3階建て15LDKの豪邸や高級車が村から支給され、村のシンボルに328メートルの巨大な塔もある。

 裕福な街で森保ジャパンが得た多くの課題は、逆にいい経験になったはずだ。ウズベキスタンには0-4で大敗し、今後に向けて身体面や判断力の向上を指揮官は求めた。今回の招集メンバーは昨年のU-20W杯経験者が10人、エース候補の堂安や、この世代の主将を務めてきた坂井ら海外組、柏レイソルの中山やアビスパ福岡からベルギー1部シントトロイデンに移籍した冨安らクラブの主力として出場していた選手は招集されなかった。

 その中での初めての公式戦。森保監督の求めるサッカーを全て理解するのは難しいが、大会1週間前の1月2日から事前合宿を行うことで少しでも戦術を浸透させようとしていた。でも、4試合した結果、理解度はまだまだ高められるようだった。

 U-20W杯を経験したある選手は「W杯の時に比べて、選手同士のミーティングをする機会が全然なかった。個々に話すことはあっても、全員で集まったりすることはなかった。誰かが音頭を取ってもっと団結しなければいけなかった」と反省していた。

 初めての公式戦で2年半後に向けてのサバイバル。あと2年半あると言っても、ある選手の言葉は少し寂しいコメントだった。最初の1歩だからこそ、もっと意見をぶつけ合っていれば、消化できたこともあったかもしれない。でも、これも伸びしろだと思う。次は3月に南米遠征がある。今出た課題は東京五輪本番に必ずつながる。これからの2年半、選手がどれだけ技術的にも精神的にも成長していくのか楽しみだ。【小杉舞】


 ◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を卒業し、14年に大阪本社に入社。1年目の同11月から西日本サッカー担当。担当はG大阪や神戸、広島、名古屋、J2京都など関西圏のクラブ。久しぶりの中国出張は食あたりに苦しみました…。