森保一監督が指揮する日本代表の北海道遠征取材は、忘れられないものになった。

9月6日未明。宿泊先のホテル(9階)で突然、下から突き上げる大きな揺れで目が覚めた。携帯電話からは、緊急地震速報のアラーム。横揺れも激しくなり、ベッドから落ちそうになった。ベッドのふちに手をかけて耐えた。壁にかけられた鏡が、バタバタと音を立てた。尋常の揺れではなかった。テレビをつけると、札幌・中央区は震度4の表示。そんなわけはない…と思いながらそのまま眠りについた。

翌朝、浴室の水が出ない。電気も使えない。停電だ。エレベーターが使えず、真っ暗な階段で1階に降りる。宿泊スタッフによると、断水はしていないが、ホテル内は電気ポンプで水がくみ上げられており、停電の影響で断水になっているという。宿泊先近辺の寺が幸い、断水しておらず、トイレと洗面台を貸してくれた。街に出ると、コンビニはどこも長蛇の列。空調が止まっており、汗だくになってレジに並んだ。購入できたのは食パン1袋と500ミリリットルのペットボトルの水5本だった。

スマートフォンもネット環境が劣悪で、ニュースを目にすることができなかった。東京の先輩から安否確認のメールが来ていたが、返信しようとしても「送信できませんでした」とエラーが続く。サッカー取材を離れ、地震翌日は、液状化の被害が大きかった札幌市清田区里塚へタクシーで向かった。信号機が止まっている中、札幌市のドライバーたちは譲り合いの精神で安全運転に徹していたのだろう。道中、事故一つ目撃することはなかった。

宿泊したホテルの停電は、7日朝も解消されることはなかった。ロビーに下りると、静岡から魚を買い付けに来たという男性が「食べ物、大丈夫ですか? 大きなバウムクーヘンをもらったから、少し食べません?」と分けてくれた。さらに、大阪から出張で来ていた男性が「昼の便で大阪に戻れることになりました。会社からもらったおにぎりと非常食があるので、どうぞ」と、大きな袋を譲ってくれた。お米が食べられることがうれしかった。たまたまロビーで顔を合わせた人々から受けた親切に加え、電気、ガス、水道がある何げない日常こそ幸せなことだと痛感した2日間だった。

日本代表選手たちも、宿舎で被災した。選手が宿泊していた部屋は20階。エレベーターが使えず、階段で昇り降りしたという。幸い、宿舎は地震発生から5時間後に電気が復旧し、比較的早く日常生活に戻れた。招集されていた川崎フロンターレのFW小林悠(30)は、その中で森保監督の人柄に感銘を受けたと明かした。

指揮官は、選手の前で「君たちは才能もあって努力してきたからこの場所にいるけど、被災した場所でサッカーができること、グラウンドを貸してもらえるのは当たり前でない。ホテルの人も、手伝いに来てくれている人も、被災して家族もいる。その中で、何不自由なくさせてもらっているのは当たり前ではないから。そういう人への感謝の気持ちを忘れないように」と説いたという。小林は「本当にその通りだなと。それを代表の場でみんなに言える。すごく人として尊敬できると思ったし、そういう人には付いていきたいなと思わせるような監督でした」。

小林だけではない。柏FW伊東ら若手選手も、その後の取材で、宿泊先のスタッフへの感謝、サッカーが普通にできる幸せを口にした。指揮官の言葉が、選手にも伝わっている証だろう。日本代表でもおごることなく、謙虚な気持ちを忘れない。森保ジャパンの初陣予定だったチリ戦は中止になったが、選手たちにとってピッチ外での「森保ジャパンの本質」を実感した貴重な遠征になったはずだ。

◆岩田千代巳(いわた・ちよみ) 1972年名古屋市生まれ。95年、入社し文化社会部で主に芸能、音楽担当。12年、静岡支局に赴任し初のスポーツの現場へ。現在は主に、川崎F、湘南ベルマーレを担当。