3-0の圧勝、その裏にあった“秘策”とは--。3月25日の国際親善試合(日産ス)で、日本が韓国を、スコア以上の内容で圧倒した。コロナ禍で海外組の招集が一部制限された中、日本は集められる限りの最強メンバーをそろえた。何と約3000万円を投じ、主将のDF吉田麻也(サンプドリア)とMF守田英正(サンタクララ)のためプライベートジェット機をチャーター。特別な防疫措置を講じることで開催が認められた日韓戦に2人を間に合わせるなど、日本協会の準備が光った一戦。その舞台裏を取材した。

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時間との闘いだった。25日の韓国戦に選手を出場させる準備を整えるためには1つの条件があった。欧州を遅くとも21日の深夜には飛び立ち、日本に向かわなくてはならない。新型コロナウイルスの特別な防疫措置を講じることで開催が認められた一戦。検査は毎日実施し、試合日までの3日間いずれも陰性となって初めて試合出場が許されるというルールがあった。逆算して、22日中の帰国が必要だった。

コロナ禍で、特に欧州からの便は欠航が相次ぎ、思うように帰国できない。当初、22日に間に合わない選手は2人いた。21日にセリエAの試合が組まれた吉田と、試合は20日だがポルトガルの離島にクラブがあり、極端に移動の負担が大きい守田だった。

日本協会はあらゆる手段を調べたが、スケジュール的に22日の来日はアウトだった。「2人の日韓戦出場はあきらめ、モンゴル戦(30日)に備える」との意見も出たが、日本協会幹部の最終決断は「チャーター機を探そう」だった。その額、約3000万円。日韓戦1週間前に、田嶋幸三会長から最終的なゴーサインが出た。

吉田は、ジェノアで行われた21日のトリノ戦後、ジェノアの空港に直行。そこで待機していたプライベートジェット機でベルギーのリエージュ空港に向かった。守田は20日のサンミゲル島でのホーム、トンデラ戦の翌21日、定期便で首都リスボンに行き、空港から用意された別のプライベートジェット機に乗り、リエージュへ。実はチャーター機を、欧州内で2機飛ばしていた。

まだ、日本への移動がある。“作戦”はこれで終わらない。日韓戦のため、リエージュから東京へは再び、プライベートジェット機を利用した。

現在、欧州各国で、いまだ1日につき2万~3万人の新型コロナ陽性者が出ている。オランダの中には、いまだに、午後9時以降は外出禁止になっており、閉鎖している空港もある。そんな中、深夜でも飛行機を飛ばすことができるリエージュ空港を選定し、集合場所とした。

リエージュ集合は21日の午後11時に設定された。そして日本へ。吉田を乗せてきた約10人乗りのプライベートジェット機に守田と日本協会の職員1人が乗り込み、22日の午前1時20分にリエージュ空港を飛び立った。給油のためロシア、シベリアの中心都市ノボシビルスクを経由して、羽田空港に向かった。

日本に着いたのは、22日の午後11時20分。抗原検査を終えて通関、入国できたのは、リミットである日付が変わる10分前だった。もし少しでも計画が狂い、入国が23日になっていたら、試合出場の条件である、「3日間の検査」を満たせず、韓国戦はまぼろしとなっていたが、ここで1つのミッションをクリアしていた。

外務省も一体となって動いてくれたという。欧州は国、あるいは州によって出入国と隔離期間などの基準が異なる。日本協会だけでは情報収集は不可能に近かった。だが、外務省が各国の日本領事館などに働き掛けてくれたことで各国、各州、各地域の基準を細かく把握することができ、プライベートジェット機のチャーターに踏み切ることができた。

コロナ禍で国内でのA代表戦は1年4カ月ぶりだった。なかなか試合が組めない中、日韓戦で文句なしの勝利を手にし、さらに、内容的にも吉田-冨安のセンターバックコンビの連係を確認できた。守田もボランチのオプションとして計算が立つと分かった。大きな収穫を得た。日本協会幹部は「もし、モンゴル戦(30日)と韓国戦(25日)の試合日が逆なら、チャーター機は飛ばせなかったはず」と話す。それほど日韓戦は特別で、日本協会の力の入れ方も分かる。

9月に始まる予定のW杯カタール大会の最終予選に向け、最高のシミュレーションができた。さらに7月から始まる東京五輪に向け、年齢制限外のオーバーエージ(OA)枠の候補選手選定にも、いいヒントが得られた。

チャーター機は日本でも、W杯予選の大詰めやW杯期間中に利用することはあるがチーム全員での利用こそあれ、今回のような極めて少人数でのプライベートジェットのチャーターは極めて異例。それも日韓戦とはいえ、国際親善試合に使うというのは異例中の異例。ただ、日本では珍しいが、海外では頻繁に使われている。02年W杯日韓大会では、ブラジルFWロナウドが自家用ジェットで家族を各会場に運んでいた。昨年11月、韓国代表もオーストリアでAマッチを2試合こなしたが、トットナムはFW孫興民(ソン・フンミン)の疲労を考慮し、チーム保有のジェット機を飛ばした。

チャーター2機、それも1機は欧州から日本への長距離便。今回日本代表2人の帰国にかかった費用は、何と約3000万円。これを高いとみるか、安いとみるかは意見が分かれるところだが、東京五輪での成功、7大会連続のW杯出場へとつながれば、決して高くはないはずだ。試合後、主将の吉田は、こう言いきった。「チャーター機で帰ってきました。ここで結果を出せなければ男じゃないというプレッシャーがいつも以上にありました」-。日本協会も、吉田も守田も、韓国に勝ち、男を上げた。【盧載鎭】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)