V・ファーレン長崎が初のJ1昇格を決めた。ホーム最終戦で3-1とカマタマーレ讃岐を破って勝ち点77とし、1試合を残して自動昇格の2位を確定させた。今年に入り深刻な経営難に陥ったが、通信販売大手ジャパネットホールディングス(長崎県佐世保市)の支援で再生。茶の間の人気者だった高田明氏(69)の社長就任オーラにも乗せられた。今日12日が50歳の誕生日の高木琢也監督に率いられJ参戦5年目。13年、15年と昇格プレーオフではね返されたが「三度目の正直」で歓喜の瞬間を迎えた。

 待ちに待った瞬間だ。長崎がJ1初昇格を決めた。勝利の笛に、J2参入後最多の2万2407人で埋まった本拠地は大歓声に包まれた。決勝ゴールのMF前田が「やりきった」と万歳しながら大の字に倒れ込む。足がつり倒れる選手が続出するほど死力を尽くし、8月末からクラブ新記録の12試合負けなしで駆け抜けた。高田社長も興奮を隠せない。「長崎の奇跡!」と甲高い声で感激した。

 今季は16人が加入した。ほとんど実績のない選手だが、高木監督の「ハードワークしない選手は使わない」という一貫した方針に応えた。そんな中、後半28分の今季初得点が決勝弾となったのは、最古参でクラブの象徴的存在の前田。12年のJFL時代は子どもが遊ぶ公園の一角で練習した。クラブハウスがなかったJ2参加初年度の13年は車で着替え、練習着は自分で洗った。苦労を知る男は「とりあえずホッとしてます。でも、これからがスタートなので」とかみしめた。

 クラブ崩壊の危機も乗り越えた。経営難が表面化し、3月には旧経営陣による給与未払いや債務超過によるJ3降格の可能性もあった。だが「ジャパネットたかた」創業者の高田氏が再建に乗り出すと「安心できた」とDF村上主将。寝具メーカー「エアウィーヴ」の10万円するマットレスを選手に支給。陸上の為末大氏を招いたフィジカルトレやメンタルトレーナーの講義も導入。自宅でのバーベキューパーティーで親睦を図るなど情熱サポートで支えた。4月末の社長就任時は4勝1分け4敗の9位だったが、以降は19勝7分け6敗と上昇気流に乗った。

 そしてつかんだJ1昇格。高田社長は「来年も奇跡を起こしJ1で優勝争いしたい」と大きな次の目標を掲げる。「夢を持ち続けて日々精進」をモットーに「ジャパネット」を年商約1800億円企業に育てた敏腕社長とともに、J1戦線に殴り込みをかける。【菊川光一】

 ◆V・ファーレン長崎 1985年(昭60)に有明SCとして創設。04年に国見高OB主体の国見FCと合併し、05年現クラブ名に。06年には国見高を強豪に育てた小嶺忠敏氏(現長崎総合科学大付監督)が社長就任。09年JFL昇格し12年に初優勝。J2昇格した13年から高木監督が指揮。クラブ名の「V」はポルトガル語で勝利の「VITORIA」とオランダ語で平和の「VREDE」の頭文字、「ファーレン」(VAREN)はオランダ語で「航海」。本拠地はトランスコスモススタジアム長崎。高田明社長。

 ◆高田明(たかた・あきら)1948年(昭23)11月3日、長崎県平戸市生まれ。猶興館高-大経大。86年に「ジャパネットたかた」の前身となるカメラ店を創業。以来約30年で年商約1800億円の企業に育てる。15年に長男旭人氏に社長を引き継いだ。スポンサーを務めていた長崎の経営再建に乗り出し4月に社長に就任。

 ▼記録メモ 長崎がJ1自動昇格圏の2位を確定させ、クラブ史上初のJ1昇格。93年のJリーグ創設時の10チームを含め、J1在籍は通算31チーム目。J2で前年15位からのJ1自動昇格は12年に2位で昇格した湘南の前年14位を更新。3~6位によるJ1昇格プレーオフを勝ち上がったクラブを含めると、15年の福岡(3位で昇格)の前年16位が前年の最低順位記録。