<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ

鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ガンバ大阪戦で14年半の現役生活を終えた。味方の負傷で1点を追う前半16分に緊急出場。クロスを上げ続け、後半ロスタイムにはサイドチェンジのロングパスで1-1の同点弾の起点となった。スライディングタックルでイエローカードをもらう場面もあり、最後の瞬間まで闘志あふれるプレーで勝利のためにひた走った。

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正担当の機会はなかったが、ドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍した直後の内田を17年10月に現地で取材したことがある。当時29歳。この日のDAZNで解説した岩政大樹氏のスカパー!番組収録に同行し、昼夜密着した。復帰まで2年も要した右膝負傷について「苦しすぎて…何度も泣いたよ」と打ち明け、翌年夏に迫ったW杯ロシア大会へ「この大けがからW杯で復活したら、格好いいかな」と。1度は代表引退も示唆した中、夢舞台への思いが再燃したことも告白した。

以前、セビリアMF清武(当時)から、ある代表戦の前半だけで交代させられ控室で泣いた話を聞いた。「その日はサブだった篤人さんが、ベンチに戻らないといけないのに隣に座っていてくれた。ただ黙って、ずっとそばに。代表で1番の出来事」だと。内田に伝えると「それ『内田篤人すげえ』って太字で記事にして」とおどけつつ「自分も若い時から代表に入れてもらって、大変さ、つらさが分かるから、後輩には手を差し伸べてあげたくて」。

この密着取材中に行われた練習で、目の前で左大腿(だいたい)筋を肉離れ。国内復帰へ加速する転機となった。検査後の夜、実は口に出していた。逆転W杯へ最後の望みをかけて「鹿島」と。11月の欧州遠征に向けた2年8カ月ぶりのハリルジャパン招集は、その負傷で当然見送り。翌年1月に実際、鹿島へ帰還したものの、最終的に3度目のW杯には届かなかった。ただ、引退発表後に日本協会関係者から、内田はW杯ロシア大会の予備登録35人から漏れたが、ビザ申請に必要なパスポート情報リスト40人には入っていた、と聞いた。負傷時に支え合った清武と。「格好いい」サプライズ選出、見たかった。

ベルリンに内田を訪ねる前には、東京オリンピック(五輪)代表監督に就任したばかりの森保監督をドルトムントで取材した。内田のU-20代表時代のコーチだった。そこから移動してきたこと、内田について語ってもらったことを伝えると「うれしいな。オーバーエージ枠も狙ってるんですよね、実は」と明かした。「五輪は難しい。国際経験が豊富な年代でもないし、選手として完成する世代でもないから」。延期された来夏は正式に幻となってしまったが、あの時も後進に経験を伝え、恩師を勝たせたい思いを強く感じた。常に、誰かのために-。第2の人生も、日本サッカー界のために世話を焼く姿を想像してしまう。【木下淳】