コンサドーレ札幌の創設に尽力し、クラブを運営するコンサドーレの最高顧問で石屋製菓の名誉会長、石水勲氏が26日午前4時30分、札幌市内の病院で死去した。病気の治療中で77歳だった。クラブが29日に発表した。北海道初のプロスポーツチームとして96年に誕生したクラブの創設、発展に情熱を注いだ。葬儀・告別式は近親者で行った。石屋製菓では11月中に札幌市内でのお別れ会を予定している。

     ◇     ◇     ◇

今年創設25周年を迎えた北海道コンサドーレ札幌の“生みの親”が天国へ旅立った。病気療養していた施設で息を引き取った。病名は非公表。クラブとともに歴史を歩み、築いてきた功労者だった。

93年に開幕したJリーグ人気を受け、同年11月から札幌青年会議所のメンバーが中心となり、Jクラブ発足を目指すプロジェクトが開始した。その中心が当時石屋製菓社長の石水氏だった。「札幌SJクラブ」の会長として活動。当時、プロ野球チームを含め北海道を本拠地とするプロスポーツチームがなく「わたしはお菓子屋。採算性を考えるより先に、子供たちが喜ぶ顔が見たかった」とコメントしている。前身の東芝サッカー部の移転を先導し、3000万円を出資して運営会社「北海道フットボールクラブ設立企画」を創設。96年に北海道フットボールクラブを設立し、チームが誕生した。

クラブの発展のため、サポートを続けた。96年から石屋製菓はメインスポンサーとして支援。00年には札幌・宮の沢の白い恋人パーク(当時イシヤチョコレートファクトリー)に隣接する専用の練習場を設置し、環境面の充実も図った。04年のJ2最下位などクラブの低迷期も、07年の自社の賞味期限改ざんなどの不祥事で経営が苦しくなっても、決してスポンサーから撤退することはなかった。クラブへ注ぐ情熱と強い意志があったからだ。

いつも練習や試合に訪れ、見守っていた。20年1月の北海道神宮での必勝祈願に車いす姿で参加する姿もあった。「北海道全体から支持されるクラブ」「J1に定着してタイトルを狙えるクラブ」の実現を願っていた。今季J1は5季連続。クラブ史上最長で、掲げていた定着に近づいている。石水氏の思いと行動によって、北海道民にサッカーファンを増やしたことは間違いない。