長崎・国見高でサッカー部監督を務め、全国高校選手権で、戦後最多6度の優勝を成し遂げた小嶺忠敏さん(現長崎総合科学大付監督)が7日午前4時ごろ、長崎県内で亡くなった。

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76歳。昨年末に開幕した第100回全国高校サッカー選手権でも、長崎総合科学大付が出場していたが、初戦から体調不良でベンチ入りできていなかった。

親しい関係者によると、小嶺さんは数年前から、肝臓など内臓を患い、持病の悪化もあって、闘病を続けていたという。

人生のすべてをささげる熱血指導で、高校サッカー界をけん引。さらに、C大阪で現役引退したFW大久保嘉人さん(39)ら、日本代表選手やJリーガーも育てた。

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◆生まれ 1945年(昭20)6月24日、長崎県南島原市(旧堂崎村)。

◆スポーツ歴 堂崎中ではバレーボール部。身長が低く、中学時代の恩師の助言で、61年の島原商入学と同時にサッカーを始める。

◆監督として 84年に赴任した国見で、選手権における国立での最多勝利となる15勝。同校で帝京に並び、戦後最多タイの6度の優勝。07年に長崎総合科学大付の総監督、15年からは監督に就任。選手権の監督通算勝利数(首都圏開催の76度以降)は1位。

◆転身? 07年夏の参院選に自民党公認で出馬(落選)した。

◆教え子 国見ではFW高木琢也、MF三浦淳宏、FW大久保嘉人、FW平山相太らを輩出。国体の長崎選抜では、現在の日本代表森保一監督も指導した。

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