スポーツ現場における救命救急の重要度が増している。その先駆者となったのが学校法人国士舘・大澤英雄理事長(86)だ。約60年にわたって大学サッカー界に尽力した同理事長のもとを訪れ、スポーツの枠を超えた社会貢献活動について聞いた。【取材・構成=盧載鎭】

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昨年6月12日のサッカー欧州選手権、デンマーク-フィンランド戦でMFエリクセンがピッチに倒れた。ドクターが駆けつける前にチームメートが周囲に立ち、救急処置を施した。一時は心停止状態だったが、現場での素早い対処もあって今は試合に復帰している。

救急処置の重要性をいち早く日本のスポーツ界に訴えたのは大澤理事長だ。70年以上も前のこと。自宅台所が火事になった。油が窓へ飛び火して一気に燃え上がった。驚く母のそばで火に土をかけ、鎮火させた。

「終戦間もないころで当時、体育の授業では『おなかがすくから』と走り回ることはせず、包帯の巻き方、火の消し方などを教わった。火事には2種類あって火は水をかけて消すけれど、油が原因なら土をかけるよう教わった。それを覚えていたから慌てることなく、小学5年生の僕は冷静に火を消すことができた」

救急救命士の育成はその経験がヒントになった。国士舘中、高、大では救急処置の授業が必須でサッカー部員も応急手当てができるように教育している。スポーツにけがは付きもの。指導者として教え子が練習や試合中に負傷し、救急車を呼ぶことがあった。その対応に疑問があったという。

「救急車は5分、遅くても通報から10分後には来てくれる。でもグラウンドの横で30分、動かないことも結構ある。わけを聞くと、受け入れる病院を探すのに時間がかかるという。その30分はゴールデンタイムでその時間に適切な救急処置ができれば、治りが早くなる。選手にとって復帰時期が早まることはすごく大事で、救急救命士の数を増やすことが重要だと思った。これはスポーツ選手だけでなく、年寄りや命にかかわる致命的なけがをした人、病気の人にも当てはまる」

00年の体育学部長時代、救急救命士を育成するスポーツ医科学科を設立した。

09年3月の東京マラソンでは参加していたタレントの松村邦洋が路上で倒れ、一時は心肺停止状態となった。この大会は第1回大会から国士舘大の学生、卒業生を派遣しており、補助員としてAED(自動体外式除細動器)を背負い自転車でランナーと一緒に走っていた。スタッフ2人が素早くAEDを持って救急処置したことで、命は助かった。これらの社会貢献が国に認められた結果、19年に旭日中綬章を授かった。

大澤理事長は周囲に「100歳までは社会貢献したいな」と漏らしたことがある。あと14年。同理事長がまいたスポーツ現場の救命救急という「種」。根を張って頑丈な幹となり、大きな花を咲かせるはずだ。

◆大澤英雄(おおさわ・ひでお)1936年(昭11)1月22日、北海道函館市生まれ。70年から国士舘大サッカー部監督を務め、全日本大学サッカー連盟理事長、関東大学連盟会長、日本協会理事などを歴任。国士舘大体育学部長、学長を務め、国士舘大名誉教授、学校法人国士舘理事長。19年旭日中綬章受章。