来季のJ1から静岡県勢クラブが史上初めて姿を消すことになった。

今季はジュビロ磐田が最下位で清水エスパルスが17位。初の「ダブル降格」となった。2クラブの降格は直近の10年間で計5回(磐田が3回、清水が2回)。99年チャンピオンシップで日本一を争った2チームがなぜ転落したのか。連載「J1消滅の真実」磐田編の最終回は、後手に回り続けたチームの戦い方について考察する。

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得点できずに失点する。ゴールを決めても「後の祭り」という試合を何度も見た。今季の磐田は常に後手で、試合巧者になれなかった。

要因の1つは戦い方に一貫性がなかったことだろう。サッカーで極論を言えば、「守備的」か「攻撃的」かの、どちらかに分かれる。磐田はどちらでもなかった。指揮を執った伊藤彰監督(50)と、渋谷洋樹監督(55)の口からは「攻撃と守備は表裏一体」という言葉をよく聞いた。ただ、相手や試合状況に応じた柔軟な戦い方ができないのであれば、どちらかを切り離す必要があったと思う。

結果が出ずに課題を修正して次戦に臨む。それでも、結果を出せず選手は徐々に自信を失っていった。「負のスパイラル」を抜け出せないままシーズン終盤に突入すると、チームはさらに迷走した。

9月の柏戦とC大阪戦が象徴的だった。J1残留へ勝利だけが求められる中、選手の多くは「前半から積極的にいく」と先手必勝を誓っていた。だが、いざ試合が始まるとその姿勢は見えなかった。

ホームだったにもかかわらず、だ。2試合とも2点を先行される展開から追いついたが、敗戦に等しいドロー。柏戦後にある主力選手が本音をもらした。「攻撃の選手は前からボールを奪いにいきたかったけれど、後ろの選手は違った。2点を取れるパワーがあるなら、それを最初から出さなければいけなかった」。勝ち点3だけが求められた一戦でも戦い方の意思疎通ができていなかった。

エース不在による得点力不足や、前半に失点する悪癖。低迷した理由は1つではないが、選手が自信を持って戦える確固たるスタイルを確立できなかったことで降格を招いた。伊藤前監督を招聘(しょうへい)して始めた土台作りのシーズンは積み上げもなく「ゼロ」に逆戻り。来季の補強禁止をFIFAから通達されたクラブはマイナスからのスタートを余儀なくされている。来季はクラブ史上3度目のJ2。1年でのJ1復帰を果たせなかった過去2回よりも厳しい戦いが待っている。【神谷亮磨】