ジュビロ磐田が劇的な逆転でのJ1復帰を決めた。最終戦は2-1の逆転で栃木SCを下し、勝ち点を75に伸ばし2位に浮上。同勝ち点まで伸ばしてきた東京ヴェルディを得失点差で上回った。

最終的に前節まで2位だった同じ静岡のライバル、清水エスパルスが水戸ホーリーホックと1-1で引き分け、同74止まりだったことなどで、自動昇格の2位に順位を上げて昇格を決めた。

来季は王国・静岡のクラブがJ1に帰ってくる。

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アウェーで前半24分に先制され、苦しい戦いを強いられた。しかし、同41分にMFドゥドゥが同点弾。右足で放った強烈なミドルシュートは、DFに当たってコースが変わりゴールに吸い込まれた。このまま1-1で折り返した。

後半16分、DF松原后のボールに対し、MF松本昌也がペナルティーエリア中央へ勢いよく飛び込みヘディングシュート。これが決まり、待望の勝ち越し点。残りは、しっかりと全員で体も張って守って攻め、リードを守り切った。

試合終了の笛が鳴ると、ひと呼吸置いて昇格を確認し合い、選手は抱き合い、喜びを爆発させた。

決勝弾のMF松本昌也は「今日は、他会場の結果次第ではありましたけど、勝ちに行くという気持ちが結果につながったと思う。1年間、自分たちを信じて戦った証だと思う」と話した。

主将のMF山田大紀は「最高です」と目に涙。「ヨコさん(横内監督)が選手を常に信頼し続けてくれたことが大きかった」と指揮官に感謝した。

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最終節は同じ静岡のライバル、清水エスパルス、名門・東京ヴェルディも含めた3チームに自動昇格の可能性があったが、磐田が町田ゼルビアに続き昇格を決めた。

勝ち点72で3位だった磐田が、この最終戦で1年でのJ1復帰を決めるには、栃木に勝った上で清水と東京Vが引き分け以下になることが主な条件だった。難しい条件をクリアした。

逆転での自動昇格をつかむには、勝利が絶対条件だった。約1年前には、カタールで日本代表の森保一監督とともに世界を舞台に戦っていた横内昭展監督は「僕らは、やれることを最大限やるだけ。勝ってどうなるかを待つしかない」と話していた。

横内監督は、就任初年度から、確かな手腕を発揮した。今季は1度も連敗しない堅実な戦いで勝ち点を積み重ねてきた。

今季は、クラブとしてFIFA(国際サッカー連盟)からの補強禁止という大きなペナルティーを受けた中での戦いを強いられた。

昨年、21年1月獲得のコロンビア人FWファビアン・ゴンザレスと当時結んだ契約が規則違反とされた。同選手が活躍した昨季の加入前、タイのクラブと交わした契約が存在したとされ、磐田は同選手の不当解除を誘発した(=不当に引き抜いた)と判断された。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に申し立てていた上訴も昨年末に棄却され、厳しい戦いを強いられた。

“補強”は、日本代表チームから森保監督の右腕、横内監督を招いて、新監督に据えたこと。加えて、同じく日本サッカー協会(JFA)でコーチをしていたレジェンド、川口能活GKコーチの就任だった。川口コーチは、就任時に「選手時代に過ごしたクラブにコーチとして仕事ができることを大変喜ばしく思います。強いジュビロを取り戻すために全力を尽くします」と語り、言葉通りの結果を出した。

ただ、この藤田俊哉スポーツダイレクター(SD)の一手が大きかった。その藤田SDの存在も、やはり特別だった。昨年秋、22年9月の就任。実質1年目で、補強なしで結果を出した。黄金期を知る磐田のレジェンドの昨年、17年ぶりの復帰も大きかった。

主将のMF山田大記を中心に戦い抜いた。43歳になったMF遠藤保仁も、今季リーグ42試合中、21試合に出場し、大きく貢献した。

この日は、多くのサポーターもアウェーまで駆けつけた。文字通り、チーム一丸で戦って“J1への切符”勝ち取った。

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◆ジュビロ磐田 1972年創部のヤマハ発動機が前身。94年にJリーグに昇格し、97年第2ステージで初優勝を飾り、年間王者に輝く。98年はナビスコ杯優勝。99年にアジアクラブ選手権を制し、2度目のJリーグ年間優勝を果たす。02年に3度目の年間優勝、03年には天皇杯を初制覇した。株式会社ジュビロが運営し、ジュビロはポルトガル語で「歓喜」の意味。ホームタウンは静岡県磐田市で、本拠地はヤマハスタジアム。中山雅史、藤田俊哉、名波浩、福西崇史、奥大介、田中誠、鈴木秀人、川口能活、高原直泰、前田遼一、駒野友一、スキラッチ、ドゥンガら偉大な選手たちが在籍した。

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