[ 2013年12月26日14時16分

 紙面から ]全日本選手権エキシビジョンで華麗な演技を披露する安藤美姫(2010年12月27日)<連載第2回>

 主役は安藤美姫だった。浅田真央でもなく金姸児でもない。誰もが熱くほとばしる思いと演技に酔いしれた。11年4月の世界選手権。安藤が真のフィギュアスケーターとして、最後に輝いた大会。バンクーバー以来、約1年ぶりに復帰した五輪女王の金さえかすんで見えた。

 同年3月に東日本大震災が発生。東京開催予定だった同大会は、約1カ月遅らせ、モスクワで代替開催となった。ファンの方には申し訳ないが、フィギュアを取材して、感銘を受けた演技は2度ほどしかない。1つは、06年NHK杯男子フリーで同大会初優勝を決めた高橋大輔の演技。もう1つが、この世界選手権で、女王として舞った安藤のエキシビションだった。

 氷上に身を横たえた真っ白なコスチュームが、いまだに網膜に残る。モーツァルトの「レクイエム(鎮魂歌)」とともに安藤は祈りをささげた。観客は総立ち。「私だけ、スケートをしてていいのか」。被災地を思い、悩んで出した答えが、この大会の金メダルとレクイエムだった。

 心が揺れ、その喜びや叫びを演じる。男性にはまねできない、女性だからこその舞である。言葉を換えれば、女のほとばしる情念だ。だから、安藤にとって、誰をも感動させるレクイエムも、スキャンダラスな未婚の母も、根っこは同じなのだろう。

 この大会、24人が女子フリーに出場した。19番目の安藤が滑り終わっても、SP1位の金を含む5人が残っていた。この時点で暫定1位。SPで安藤と金の差は0・33点差だ。彼女が取材エリアで報道陣の前に現れたのは、まさにライバル金の演技直前だった。

 話を始めるが、記者は金の演技が気になり、気が気でない。同所には演技が見られるモニターがある。記者は横目でモニターをチラ見するが、安藤は金より自分を見てほしいと言わんばかりに話し続けた。「少しミスが出て悔しい。でも強い気持ちで滑った」。

 金は2位に落ちた。残り3人。その時、突然、声が響いた。「ミキ!」。当時のモロゾフ・コーチが駆け寄った。金メダルを確信し、目の前で長く熱い抱擁が続く。締め切り時間が迫る中、放心状態の報道陣。目のやり場に困るほど、熱い思いが交錯し、2人だけの静けさが流れた。

 わざとではないだろう。金の演技を見せないために、その時間を狙って現れたとは思わない。モロゾフ・コーチとの抱擁も、自然な感情だったに違いない。それは、レクイエムで人を感動させる安藤が放つ女のオーラにほかならなかった。

 02年に世界女子初の4回転ジャンパーとして脚光を浴びた。しかし、05年末のGPファイナルで、年齢制限で五輪に出場資格のない15歳の浅田が優勝し、社会現象となった。安藤は、06年トリノ五輪で主役を務めたが、その後、光が当たり続けたのは浅田だった。常にあどけない笑顔を振りまき、ジャンプを跳ぶアイドルの前に、女の情念はあだ花のようだった。

 10年末の全日本選手権は、安藤が浅田らを抑え、6季ぶりに優勝。久しぶりに陰から光へ、主役の座を奪い返したと思ったはずだ。しかし、光が当たったのは、やはり浅田だった。同シーズンに苦しんでいた3回転半ジャンプに成功。安藤の優勝は、浅田の3回転半復活の前にかすんだ。

 それ以来、安藤は会見など公の場を除いて、時に取材を拒否することもあった。きちんとした評価をしない媒体とは話をしない。心の叫びを放った。そして、迎えたのが11年の世界選手権だった。金メダルとともに、大震災の年に交わされたレクイエムと熱い抱擁。陰で生きることを強いられた安藤が、女の情念の集大成で、真の光を浴びた最後の瞬間でもあった。【吉松忠弘=04~11年担当】