[ 2014年2月19日9時2分

 紙面から ]男子ラージヒル団体

 銅メダルを獲得し歓喜する、左から清水、竹内、伊東、葛西<ソチ五輪:ジャンプ>◇17日◇男子団体(HS140メートル、K点125メートル)

 ジャンプ男子団体の竹内択(26=北野建設)は、難病と闘いながら銅メダルをつかんだ。試合後の会見で「アレルギー性肉芽腫性血管炎(チャーグ・ストラウス症候群)」の可能性が高いと診断されていることを明かした。1月に入院を余儀なくされるなどの苦難を乗り越え、夢をつかんだ。

 本来の力は出せなかった。それでも、竹内はぎりぎり間に合わせた。「気持ちも体も精いっぱいやった。先輩たちに助けてもらった」。9日のノーマルヒルから助走姿勢の修正に取りかかり、何とかめどを付けた。試技では112・5メートルと大失敗。不安がよぎったが、自分を信じて飛んだ。2回ともK点を越え、最低限の仕事を果たした。

 試合終了から約2時間。公式会見の壇上で、前を見つめていた竹内の瞳から涙がこぼれた。「もしかしたら死んでしまうんじゃないかと脳裏によぎることもありましたし、五輪には出られないんじゃないかという気持ちもありました。その中で…」。120万人に1人という難病「アレルギー性肉芽腫性血管炎」を患っていたことを明かした。

 数年前に発症したぜんそくが、昨夏から悪化。秋頃には、息をすることがつらくなっていた。年末年始にかけて行われたW杯連戦中、ランニングは10分間も出来ず、風呂で頭を洗うときは手が上がらない。遠征先のオーストリアで39度の高熱が出て、体が動かなくなった。せきも止まらず、1月8日に緊急帰国。長野県内の病院で精密検査を受け、病名を宣告された。

 父亨さんは前回五輪に続き、今回も合成写真をつくり、励ましてくれた。昨年12月のW杯で2位に入ったときの写真をソチの会場と組み合わせ、金メダルを模した丸い紙を胸につけて、病室に飾った。弱気になったとき、その写真を見ると「行けるんじゃないか」という気持ちになった。

 症状を抑えるための薬の副作用で、筋肉も体重も減った。全盛期の頃と全く違う体と、変わらない頭。そのズレに苦しみながら1月25日のW杯札幌大会で実戦復帰し、21位。そこから23日で、五輪の舞台で130メートルのジャンプを飛ぶまで持ってきた。

 病名を公表することに、チーム内で反対意見もあった。それでも「生きようと思っている人がたくさんいて、同じ病気で苦しんでいる人もいる。諦めないで信じていればメダルをとれると、勇気を届けたいなと思って飛んだ。念じればかなう」。選んだ道は、間違っていなかった。【保坂恭子】

 ◆アレルギー性肉芽腫性(にくげしゅせい)血管炎

 別名は「チャーグ・ストラウス症候群」。重いせきや手足のしびれ、関節の痛みや筋肉痛、発熱などさまざまな症状が出る。原因は不明で、薬で治まっても再発することがある。国内で新たに発症する患者数は年間約100人(120万人に1人の割合)という。