アメリカンフットボールの社会人王者を決めるジャパンXボウルが21日、東京ドームで行われる。今年は3度目の出場で悲願の初優勝を目指す富士通と、12年ぶり2度目の優勝を狙う鹿島が対戦。富士通藤田智監督と鹿島森清之監督は、京大時代の先輩後輩関係でもある。恩師京大の水野彌一監督から学んだことや、直前に迫った決戦への決意について聞いた。前編では、京大時代の思い出、水野監督への思いなどを語ってもらった。-Xボウルが間近に迫ってきました。今年は、森監督と藤田監督の京大先輩後輩対決ということで注目も集めています。

 藤田監督

 いやぁ、もう全部の面でやりにくいですよ。できれば、もう当たりたくない(苦笑)。

 森監督

 僕もやりにくい。(藤田監督とは)長い付き合いですから、深いところまで考えてくるのも僕はわかっていますので。-学生時代の思い出って何かありますか?

 森監督

 僕はディフェンス(森監督はLB)で藤田はオフェンス(藤田監督はQB)とポジションが違ったので、いつも一緒にいる、という関係ではなかったですね。

 

 藤田監督

 そうですね。森さんと東海さん(東海辰弥=京大QB)が同じ下宿だったので、僕が東海さんを迎えにいくと森さんがいる、というような感じでした。ただ、僕が水野監督にコーチとして誘われたとき、森さんには相談しました。-なぜ森監督にアドバイスを求めたのですか?

 藤田監督

 偉大な先輩ですし、僕が4年生のときに森さんがコーチで京大に戻ってきてくれて、コーチングについて勉強している姿とか、近くでみていたからですね。-相談をうけて森監督はどのようなお話をされましたか?

 森監督

 自分がなぜ会社を辞めてコーチになったのか、そんな話をした覚えがあります。ちょうど、アメリカやヨーロッパからいろんな情報が流入してきて、アメフトが面白くなってきた時期でした。コーチはしんどいことも多いけど、水野監督には好きにやらせてもらえてましたし、面白い、楽しいよということを話しましたね。そういえば、2人でアメリカや韓国にも行ったな?

 藤田監督

 韓国に行った1994年は忘れないですね。着いたその日に金日成主席が亡くなって…。帰れるか心配でした(苦笑)。

 森監督

 水野監督の紹介で、韓国のオールスターチームを1週間コーチして、北海道からの選抜チームと対戦させました。

 藤田監督

 当時はこうしなきゃいけないという形がなかったから、自分たちで自由にチームを作ることができました。-水野監督から受けた影響とはどんなものがありますか?

 藤田監督

 新しいことをスタートさせる、チャレンジしていくということに抵抗感はありません。これが水野監督の精神としてあるはず。京大のいいところでもありますね。

 森監督

 あとは自由な発想ですね。傍から見ていると無茶だと思うところも結構なんとかなる。これも、京大で、水野監督のもとでフットボールをやっていたからこそ、経験できたことです。-水野監督の存在とはどのようなものですか?

 森監督

 僕はフットボールのすべてを水野監督から教えてもらいました。今の自分がやっているフットボールや理想のフットボールの姿が水野監督のフットボールと違ったとしても、あらゆるところで影響を受けていると思います。

 藤田監督

 他の監督のもとでプレーしたことがないので比較はできませんが、とてもいい時期を過ごさせてもらいました。多感な年代に水野監督と接することが出来たのは、自分自身にとって財産です。

 森監督

 出会いの時期って大事だよね。

 藤田監督

 高校生でも社会人でもなく大学生だから学べたことが多かったと思います。-水野監督の「ここが一番すごい」と思うところはどんなところですか?

 藤田監督

 人に頼り切ることはしないし、条件が揃わなくても何とかするんだというバイタリティと発想力。それに、決断したあとの行動力もすごく早いです。

 森監督

 自由な発想と、成功体験を惜しげもなく捨てられるところ。これはなかなかマネできません。-水野監督は今回のXボウル、テレビ放送の解説者として両チームの戦いぶりを解説されます。

 藤田監督

 もうね、勘弁してほしいです…(苦笑)。

 森監督

 さっき藤田とも話したんですが、公共の電波で40歳すぎて怒られるのかと思うと…。胃が痛いですね。

 水野監督へのリスペクトを言葉の端々から感じる中、Xボウルの解説で来場するという話になると2人揃って苦笑。卒業から20年以上経っても、2人にとっては頭の上がらない“監督”のようだった。