陸上男子の桐生祥秀(21=東洋大)が日本人初の100メートル9秒台をマークした。決勝で追い風1・8メートルの中、9秒98で3年連続3度目の優勝。伊東浩司が98年に記録した10秒00の日本記録を19年ぶりに更新した。

 桐生の高校時代の恩師、京都・洛南高陸上部の柴田博之監督(54)が日刊スポーツに喜びの手記を寄せた。

 おめでとう、桐生。高校3年間、ともに過ごせたことは、本当に指導者冥利(みょうり)に尽きる。

 中3の全国中学体育大会200メートル決勝で2位の桐生が強く印象に残った。足の回転が非常に速かった。洛南高に電車1本で通える距離(滋賀)にいる。自分の手元で育ててみたかった。高1の時はつま先から接地するため、バウンディング(上にジャンプするように進む練習)が苦手だった。より多くの面積で地面からの反発を受ける足全体での接地(フラット接地)にする練習を繰り返した。当時、高校生の限界は10秒1台と考えていたが、「10秒0台がある」と思えた。

 ただ13年4月の10秒01は完全に想像の域を超えていた。10秒0台後半だろうと。その時は人けのないバックスタンドで見ていた。記録を見てぼうぜんとして階段に座った。腹が減ってきて1人でパンをコーヒーで流し込んだ。いろんな感情が押し寄せてきて何だか知らないけど、泣けてきた。

 桐生は2段飛ばし、3段飛ばしでタイムを縮める。タイムが出ない時は必ず練習ができてないからと言う。環境など他の理由を口にはしない。何より自己記録を更新したい、という強い気持ちがある。私は、日本人が9秒8台を出す可能性は極めて低いと思っていた。追い風参考ではあるが、15年3月に9秒87。どれくらいのタイムが出せるか、もう私には分からない。

 金輪際、高校生の10秒01は出ないと思うが「うそでしょ」という記録もいつか抜かれる。走り幅跳びで68年にボブ・ビーモン(米国)が出した8メートル90は私が死ぬまで抜かれないと思っていた。だが91年にマイク・パウエル(米国)が8メートル95を跳んだ。それが陸上だ。

 今の桐生が世界大会決勝を語らなければうそだ。私は、桐生に「命がけでいけ!」という言葉をよく使った。古い言葉かもしれない。別に負けても本当に死ぬわけじゃない。世界大会の決勝は誰もが狙える舞台じゃないし、平等に与えられるチャンスでもない。皆の夢とかきれいごとをいうつもりはないが、桐生よ、最後は命がけでそこを目指せ。(88年ソウル五輪走り幅跳び日本代表、京都・洛南高校陸上部監督)

 ◆柴田博之(しばた・ひろゆき)1963年(昭38)4月25日、京都府出身。京都・洛南高-天理大。走り幅跳びで日本3人目の8メートルジャンパーになり、88年ソウル五輪に出場。自己ベストは8メートル04。大学卒業後に母校の教諭となり、陸上部を指導して32年。高校総体では最近6年間で5度の総合優勝を果たしている。