東洋大が往路を5時間28分29秒で制した。1区西山和弥、4区吉川洋次、5区田中龍誠と出場した5人中3人が1年生と若いチームだったが、青学大、東海大、神奈川大の3強と目されていた大会に風穴をあけた。西山が区間賞の快走で飛び出すと、流れに乗って1度も首位を譲らなかった。2位は総合4連覇を狙う青学大が36秒差、3位は早大が1分56秒差で続いた。今日3日の復路は、午前8時にスタートする。

 優勝会見にあどけない顔が並んでいた。その隣で東洋大の酒井監督は「下馬評は低かったが、私たちは往路優勝を狙っていた」と胸を張った。4年生はいない。3人の1年生で往路Vを飾ったのは、00年駒大以来18年ぶりだった。

 流れを呼び込んだのは、1年生の1区西山だった。18キロ付近。青学大ら先頭集団のペースが落ちた瞬間、スパートを仕掛けた。直後、歩道にいたスタッフを目がけて、手袋を放り投げる。「脱いだ時にポケットに入れる余裕もなかった」と夢中で走り、差を広げた。11月下旬の練習中に転倒し、左足を剥離骨折。2週間前は膝も曲がらなかった1年生が、各校エース級がそろった区間で2位に14秒差をつけてたすきを渡した。

 西山の左腕には「その1秒をけずりだせ」、右腕には「怯まず前へ」。東洋大のスローガンがフェルトペンで書かれていた。西山に刺激を受け、4区で吉川、5区田中の1年生も走る前、両腕に同様の文字を刻んだ。吉川は「コンスタントにペースを刻めた」と区間2位の走りで、青学大との差を46秒から2分3秒に広げた。出雲、全日本は出場なしながら、山登りでリードを守った田中は「不安は大きかったが、声援が力になり逃げ切れた」と笑った。4年生の時に20年東京五輪を迎える。入学してすぐ「3冠ができるチームにしよう」と約束した。同期の快走が相乗効果を生んだ。

 酒井監督は言う。「うちは部内で選考基準のレース、練習がある。突破した人がメンバー。私情は捨てる。非情であっても、そういう決断が次の選手を育てる。同じ力なら下級生を使う」。その哲学が9年連続3位以内の東洋大の強さを支えている。3区にエース山本を投入し、青学大のエース格・田村から逃げ切る策も当たった。

 レースには喪章を着けて臨んだ。昨年8月。08年の夏から夏合宿で使用する新潟県の宿泊所「三太夫」を提供してくれた長島忠美元衆議院議員が亡くなった。翌09年の箱根に東洋大は箱根駅伝を初制覇するなど強豪の仲間入りを果たした。その長島さんへ届ける優勝でもあった。強豪校の重み、そして若さが融合したチームは強かった。復路も「トータルで勝ちたい」と指揮官。チームの力を結集し、東洋の時代を復活させる。【上田悠太】