第99回東京箱根間往復大学駅伝(来年1月2、3日)で2年ぶりのシード権獲得を狙う東海大の取材会が14日にあった。箱根をめぐるドラマ、東海大・石原翔太郎(3年)の石原の思いに迫る。
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今年1月の箱根駅伝。当時2年だった石原は、芦ノ湖付近で体を震わせていた。
「山の上だったので、寒かったです」
区間賞を獲得したルーキーイヤーから一転、裏方として5区と6区の走路員を務めた。防寒対策としてしのばせたカイロは、全く効かなかった。箱根山の風は、ただただ冷たかった。
第99回東京箱根間往復大学駅伝への取材会(14日開催)に出席した石原は、これまでの道のりをゆっくりと回想した。
21年の新春。1年生で臨んだ初の箱根路で、3区区間賞を受賞。“スーパールーキー”と脚光を浴びた。
しかし、待っていたのは、先の見えないトンネル。2年時の6月に、腰が痛み始めた。MRI検査やエックス線検査を何度も受診したが、なかなか原因が分からない。家族にも「腰が痛い」としか説明できなかった。
「いつ治るんだろう」
股関節の疲労骨折が判明したのは、痛みを覚えてから3カ月がたった頃。中学1年の途中から始めた陸上人生で、初の長期離脱を余儀なくされた。
1年時に輝きを放った箱根駅伝では、裏方に回ることになった。2年生エースを欠いたチームは、最終区で失速。19年に総合優勝した強豪は、総合11位に沈み、8年ぶりにシード権を逃した。
10位との差は、わずか52秒。石原にとっても、チームにとっても、悔しい結果となった。
再起を懸けてリハビリを続け、季節は冬から春へ。股関節を強化し、今年4月に練習を再開した。
「1年生の時は治療院の方に任せっきりだったのが、今は自分でマッサージをしたり、治療器具でケアをしたりするようになりました」
体との向き合い方を変えた。努力は実り始める。
7月のホクレンディスタンス千歳大会で5000メートルに出場し、13分29秒21で自己ベストを更新。11月の全日本大学駅伝では3区区間賞を獲得し、レース直後には「2年ぶりの駅伝、走れてうれしい気持ちと、周りの人が支えてくれてうれしい気持ちです」と涙を浮かべた。
およそ1年のブランクを経て、石原は戻ってきた。
全日本に続く好走を目指す箱根は、すでに両角速監督(56)が2区起用を明言している。
石原が走れば、SNSでは「#石原翔time」の投稿が激増する。それはすなわち、たくさんの人が期待を寄せている証し。当の本人も、準備はできている。
「本気で挑んでいるので、注目を浴びても大丈夫です」
走路員から、2年ぶりの出走へ。しみじみとした口調で、こうも言った。
「山の上は寒かったので、やっぱり走っているほうがあったかいなって思いました」
走っているほうがあったかいな。本気で駆ける箱根路で、熱い“翔time”が幕を開ける。
【藤塚大輔】