男子100メートルに、サニブラウン・ハキーム(26=東レ)が出場する。
いきなり初日の13日に予選、翌14日に準決勝と決勝が行われる日程。自身の「日本初」を更新する3大会連続の決勝進出が懸かる。
2カ月半前を思えば、この舞台に間に合っただけで“奇跡”だった。今年6月、練習中のアクシデントで右股関節の上部を骨挫傷。翌7月の日本選手権に強行出場したものの、キャリア初の予選敗退に終わった。
以降は8月に入るまで全力で走ることすらできなかったが、本人が宮崎・都城合宿を打ち上げた9月8日に「いい練習ができて手応えがある。あとは試合で出せるかどうか。出せるように仕上げていきたい」と抱負を語れるまで、状態を戻してきた。
立役者は「テカール療法」を操る理学療法士、芝地秀幸トレーナー(42)だった。その療法は、高周波温熱器で、機器から電気エネルギーを身体内に伝達し、血流やリンパ循環を促進させ、細胞の再生と治癒を促すもの。スイスに本社があるウインテカール(Wintecare)社が製造するデバイス「T-PLUS」を用いる。
ウインテカール・ジャパンの代表取締役として、同社のセラピストとしても2014年から活動してきた芝地氏。その本部が、サニブラウンの練習拠点タンブルウィードTC(米フロリダ州ジャクソンビル)と提携し、チーム全体のケアを請け負うようになった流れで、芝地氏も22年5月からサニブラウンを担当することになった。
腰のヘルニアに苦しめられ、男子200メートルでまさかの予選敗退(21秒41)を喫した21年東京オリンピック(五輪)の翌年。その6月の日本選手権(大阪)直前だった。「けがをして、自国の大舞台で望んだものをつかめなくて。その次の年でしたね、初めてお会いしたのは。日本選手権で結果を出せなければ、世界選手権に出られない…といった状況で。レースに向けて相当集中しているな、という第一印象でした」と振り返る。
まだ性格も互いに分からず、無理に距離を縮めもしなかった。「ヘルニアを抱えていたので、腰からくる股関節などを重点的にケアしながら」。スタンダードなトリートメントを施し、リカバリーを促せば、あとは本人が臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の1年を結実してくれた。
男子100メートルの準決勝で世界選手権オレゴン大会の参加標準記録(10秒05)を突破する10秒04。翌日の決勝も10秒08で走って優勝した。予選で9秒98。準決勝も10秒05で通過して、世界選手権では日本人初となる決勝進出を果たした(10秒06で7位)。
翌23年の世界選手権ブダペスト大会には、芝地氏が同行した。日本選手権の決勝は左ふくらはぎをつって8位。世界ランキングで出場権を得たように、決して状態は良くなかったが、本番まで付き添って復調に尽力した。
「彼は結構、欧州が好きなので。すごく気持ち良さそうにリラックスして過ごしていました。大会本番は状態も良くなりましたし、僕らが仕事しないといけない時、手を加えないといけない時って、良くない状態なんですよね。でも、あの時は特段、することがない状態になってくれて」
予選を組1着の10秒07で通過すると、準決勝も組2着の9秒97で3大会連続のファイナリストになった(10秒04で6位)。その傍らに、芝地氏がいた。快挙の目撃者の1人となった。
昨夏のパリ五輪は再びスイス本部が担当。サニブラウンは自己ベストを0秒01更新する9秒96を準決勝でマークしたが、自身を含めて9秒台で走った4選手が準決勝で敗退した。異次元のスピード。世界陸連によると、五輪史上初だった。
「レース後に話をさせてもらいましたが、自己記録を出して自分も前に進んでいるけど、世界はもっと前に進んでいる、という部分で、複雑そうでした。明るく前向きには捉えていましたが」
悔しさの中に手応えも入り交じった表現が忘れられない。糧とし、進化を見せるしかない25年。芝地氏は5月のセイコー・ゴールデングランプリ(日刊スポーツ共催)から、再びサニブラウンのケアを託された。
「中国の厦門(アモイ)でダイヤモンドリーグを走って、広州で世界リレーに出て(予選は出場、決勝は欠場)から帰国したんですけど、もうパッと見た瞬間『よくけがをせずに日本に帰ってきてくれた』というぐらいバランスが崩れていました。実は。筋肉も、とてもパフォーマンスを出せる状態ではなくて」
最終的に、足に不安も覚えて欠場を決断。日本陸連から「ウオームアップ中に足に違和感があり、出場に向けて最大限の調整を行いましたが、今回は大事をとって見送る判断をしました」と発表された。
「コーチや選手本人はどう思っていたのか分かりませんが、パフォーマンスが出る状態ではなかったですし、大きなけがをするリスクも高かったので、メディカルサイドの私からすると『欠場で良かったな』というのが正直な思いです」
この間、芝地氏は、復帰した時に練習を積み上げていけるような体に戻していく施術を施した。5月末には一部の海外転戦にも付き添い「良くなってきた。もちろんベストは言えませんけど、上り調子で、日本選手権で勝負できるくらいには戻るな、走れるな、と」
しかし、直前のアクシデントで戦線離脱を余儀なくされたのは、冒頭に記した通り。右股関節上部の骨挫傷を負った。「負傷してしまった瞬間は、自分が同行している時期ではなかったので、直接、見てはいないのですが」と前置きした上で「本人は最初、筋肉系の問題だと思っていたんです」と明かす。
しかし、テカール治療器で刺激を入れても「2日間やっても、全く症状に改善が見られませんでした。筋肉の場合、トリートメントすれば何かしらの変化が出るものなんですが、何も変化がなく、おかしいなと思って」。専門医の診察を受けたが「最初は『筋肉、問題ないですよ』『腱(けん)も大丈夫ですよ』だったんです。でも先生が、最後に『骨盤の色、ちょっと違うかも』と気付いて。それで骨挫傷と判明したんです」。それほど微妙なものだった。
まだ、自国の世界選手権代表に内定する前。沈んでもおかしくなかったが、サニブラウンは違った。
「表立って、そういう部分はあまり見せないタイプですよね。本当はすごくショックだったと思うんですが、日本選手権も迫っていたので『翌日以降の練習をどうするか、日本選手権前に、どのタイミングで練習をするか』など、すぐに次を見据えていましたから」
全治は最短3週間。4、5週あれば全く問題なくなるという診断だった。診断後は、バイクをこいだり、ウエートトレーニングをしたりするしかない。走れたのは8月に入ってからだった。
「けがの功名で逆に良かったのかリセットされて、崩れていたバランスが戻ったんです。丸々1カ月、走れなかった7月に。彼の場合は、良くない時は背筋と股関節の動きに左右差が出てしまうのですが、リハビリの間に整って、パリ五輪の前の春ぐらいですかね、良かった頃の状態に近づきました」
間もなく6度目の世界選手権が幕を開ける。東京では34年ぶりの開催で、心待ちにしてきた舞台。男子100メートル予選は午後8時35分、号砲が鳴る。
間に合った。しかし、それだけで満足する男ではない。都城合宿で納得いく調整を終えた姿を見て「しっかり練習できていたし、体も問題ないし、バチッとハマれば、かなりいいタイムが出るんじゃないかなと思います」と太鼓判を押す。
「予選、準決、決勝の3本をそろえるというより、本当に1本1本、ハマるかどうかの勝負。基本、不安はないと言っていいと思います」
積み重ねたものが出せれば、自国で3度目の決勝に立つ姿を、国民に見せられる。そのイメージが芝地氏には描けている。
「仕事柄、海外のトップクラスのスプリンターを担当させてもらう機会も多いんですけど、お尻の筋肉に関しては、ハキーム選手は対等以上です。背筋は初めて見させてもらった22年から比べると、格段に発達して大きくなりましたね。重点的に鍛えているのはもちろんでしょうけど、普段から背筋を使える走り方に変わった証拠です。あとは、決めたターゲットへの持っていき方、ピークに合わせる集中力は尋常ではない人ですから。本能に加え、陸上人生で培った感覚もあるので、もう段違い。そこは心配ないので、本番の負荷に対する反動を、どう戻してあげるかだけですね」
自身は野球少年で「スポーツに生涯、携わりたい」と理学療法士の道を選んだ芝地氏。号砲は迫るが「いい成績が出ても、うれしいよりも、安心、が正しい表現の感情ですかね。でも、本人が勝負を楽しめる状態に仕上げられた時は、やっぱり、うれしいかもしれません」。大一番に強いサニブラウンを信じ、いつも通りのトリートメントで、国立のトラックに送り出す。【木下淳】

