今回は、私自身が感じたちょっとした気づきについて書きたい。

10日、品川区のイベントに参加した。「SHINAGAWA2020CONCERT×TALK(コンサート×トーク)」だ。


イベントに参加した伊藤華英氏
イベントに参加した伊藤華英氏

実は、私は今年から「しながわ2020スポーツ大使」を務めている。そのためのイベント参加、つまり仕事ではあったのだが、自身の競技人生を振り返る機会となり、とても素晴らしい時間を過ごさせてもらった。

このイベント自体は、2020年東京オリンピック・パラリンピック文化プログラムとしてのイベントであり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の応援プログラムとしての認証イベントだった。

文化プログラムとはそもそも何かというと、オリンピック開催都市は、文化オリンピアード(CulturalOlympiad)と呼ばれる開幕までの期間に、スポーツのみならず、教育を含めた活動を実施することがオリンピック憲章、オリンピックアジェンダ2020の中で義務付けられているのだ。

その文化プログラムの一貫で今回の「コンサート×トーク」が開催された。

イベントの内容は、オリンピックの公式ソングをオーケストラによって演奏するというものだ。曲順は、1964年東京大会の開会式の入場曲「オリンピックマーチ」から始まった。往年の観客の方たちは、大きくうなずきながらこの曲を聞いていた。当時のことを思い出しているのだろうかと私も曲を聴きながら想いをはせた。

次の曲で一気に私は気分が高揚し、当時がよみがえった。2004年アテネ大会でNHKの公式テーマ曲だったゆずの「栄光の架橋」だ。実はこの曲が一番思い出深い。

当時、私は19歳だった。前年2003年の日本選手権背泳ぎで日本一になり、「オリンピック発祥の地」としても注目された2004年アテネオリンピックは「絶対に行ける」と思っていた大会だった。しかし、オリンピックは甘くない。心身ともに未熟だった私は、1種目たった2枚のオリンピックへのチケットを、日本選手権3位という結果で逃したのだ。

今でも思う。「人生で一番の挫折」だと。

誰にも会いたくない、話したくない、注目されたくない。そんな気持ちで頭がいっぱいになっていたのを今でも思い出せる。

でもそのどん底から救ってくれたのは、やはり「オリンピック」だったのだ。

アテネ大会の競泳で使用したプールは屋外だった。輝く空の下で仲間が頑張っていた。一緒に泳ぎ、ライバルと呼んでいた彼女たちが、最高に輝いていた。

そして同じセントラルスポーツ所属だった体操競技の冨田洋之選手が、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」との実況とともに金メダルの着地を決めた。私自身に足りないものが見えた瞬間でもあった。いつまでもふがいない結果にとらわれていた自分が恥ずかしくなった。「誰も自分を助けてくれない」ではなく「ここから自分ができることを最大限にやろう」と思えたのも、自分を傷つけたオリンピックのおかげだった。初めて、いろんな環境や自分が持っているものに感謝できた。

こんなことを思い出しながらこの曲を聞いていた。

なぜこんなことを感じたのか。後で気が付いた。

「私は現役アスリートではなく、アスリートを支える立場になった」

このことを改めて実感できたのだ。

「一喜一憂していいんだ!」

現役の時は、自分のパフォーマンスに集中しなければならなかった。けれど今は選手を心から応援できる。観戦する醍醐味はそこにあるのではないか。そう感じた。

その後は、最後のオリンピックと決めていた2012年ロンドン大会のテーマ曲、いきものがかりの「風が吹いている」。そして2016年リオ大会の安室奈美恵の「Hero」。どれも思い出深い。

私はその演奏のあとにトークショーを控えていたが、観客として演奏を楽しんだ。


「コンサート×トーク」で演奏するオーケストラ
「コンサート×トーク」で演奏するオーケストラ

スポーツを見る楽しみの1つは、アスリートの頑張りや、競技の面白さなどにシンプルに魅力を感じ、一喜一憂することだと私は感じた。

2020年東京大会に向けて努力し続ける全てのアスリートのため、自分に何ができるのか。ますます今後が楽しみになってきた。

このイベントに参加できてとても感謝している。

ありがとうございました。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)