いつからか稀勢の里の取り組みを見るのがしんどくなった。ときに白鵬を吹き飛ばすほど恐ろしく強いのに、中堅どころにコロリと負けたりする。しかも、ここ一番の勝負どころで取りこぼす。ひいきの力士が勝って喜び、負けて落胆するのが相撲ファン。それが相撲の魅力でもあるのだが、稀勢の里はその落差があまりにも大きいのだ。

 大きな重圧に緊張して硬くなり、自分本来の力を出し切れない。それがどこか人生にも似ていて、つい自分の姿と重ね合わせてしまうから、なおさらしんどくなる。あまりにしんどいので、最近はあえて期待しないふりをしていた。「また負けるよ」と自分に言い聞かせて、土俵に疑いの視線を投げる。そうすることで負けた時の落胆を少しでも軽くしようという、実に姑息(こそく)な観戦術である。

 不思議なことに、期待外れが続いても、なぜか稀勢の里に引きつけられてしまう。目が離せないのだ。恵まれた体格とスケールの大きな相撲、日本人横綱誕生への期待はもちろんだが、中卒のたたき上げで、とことん正攻法、勝っても笑わず、武骨で不器用。五月人形を思わせる、きかん坊の顔。彼の姿は、懐かしい日本の心、美徳を思い出させ、どこか私たち日本人の琴線に触れるのだ。

 千秋楽。稀勢の里の涙のインタビューを見て、泣けてきた。何よりも彼自身が一番しんどい思いをしていたのだ。彼は勝手に期待していたファンの何百倍も悔しい思いをし、失望したに違いない。その度に立ち上がり、手抜きをすることもなく、ひたすらおのれの力を信じて、長い時間、愚直に挑み続けてきたのだ。きっとそんな姿を、ずっと天から誰かが見ていたのだと思う。期待しないふりをした自分が、何だかとても恥ずかしくなった。

 最高位に昇進するであろう来場所、もうあの『綱取り』への緊張感がなくなると思うと何だか寂しい気もする。と同時に長年の緊張から解放された稀勢の里が、どれほど強くなるか、考えるとワクワクしてくる。一方で誰を相手にしてもひきょうはせず、全身全霊で相撲を取る姿は変わらないだろう。そして、おそらく腰高と脇の甘さを突かれて苦労する姿も。それでいいのだ。それも稀勢の里の魅力なのだから。【首藤正徳】