「世界に追いつくには数十年単位の時間がかかる」(岡田武史監督)「ボールのスピード、精度がまるで違う」(DF秋田豊)「世界レベルで自分を磨くしかない」(FW城彰二)「逆境をはね返す精神力が必要」(GK川口能活)…。

W杯に初出場した1998年フランス大会を3戦全敗で終えた直後の、日本代表選手と監督の険しい顔と発言が、脳裏によみがえってきた。あれから四半世紀。日本が大国ドイツに真っ向勝負を挑み、勝ち点3をもぎ取った。あらためて、積み上げてきたものの大きさを実感させられた。

98年はまだ全メンバーがJリーガーの国内組。戦術も前線から全員守備の『格下の戦い方』だった。「相手はテレビで見ていたスターばかり。選手も自分も“すげえ”とリスペクトしすぎて、同じスタートラインに立っていなかった」。先日、岡田氏から直接聞いた。技術、メンタル、経験、すべて欠けていた。

振り返るとこの98年の惨敗こそ、成長への“ビッグバン”だった。中田英寿、城彰二、小野伸二らトップ選手が続々と欧州リーグに挑戦。02年日韓大会は中田英や小野らの海外組が軸となり、フィリップ・トルシエ監督が4年間かけて熟成させた『フラット3』の守備戦術で1次リーグを突破。地の利も味方した。

当時、トルシエ監督は「身体能力が海外より劣るというのは偏見だ」と強調していた。W杯の2年前、母国フランスから専門家チームを呼んで日本選手のデータを採取した。その数値は確かに欧州のトップ選手と比較しても遜色なかった。世界と戦う上で、日本人に根付く、欧米に対する「劣等感」を払拭(ふっしょく)する狙いがあった。

10年南アフリカ大会で日本を再び指揮して16強入りした岡田監督は、世界との差を「優劣」ではなく「違い」ととらえ、日本人の武器でもあるスピードと連動性を最大限に生かした戦いを目指した。本番直前にサイドの守備を重視して、中盤5人を一列に並べる『現実路線』に切り替えたが、この戦い方が、その後の日本代表の基本形になった。

そして、日本の成長の何よりの推進力が海外組の奮闘である。98年にセリエAのペルージャに移籍した中田英の活躍は、日本人選手の評価を一気に高め、海外移籍への門戸を広げた。10年にドルトムントに移籍した香川真司はゴールラッシュで大国を驚かせ、日本勢のブンデスリーガへの太い道筋をつくった。

18年ロシア大会の日本は積極的に攻めて、1次リーグを突破した。しかし、決勝トーナメント1回戦で2点先制しながら、終盤の3失点で強豪ベルギーに屈した。この時、思い出したのが「トップ10のメンタリティー」というトルシエ氏の言葉。世界トップに勝ち切る、揺るぎない精神のことである。日本にはこのメンタルが、まだ十分ではないと感じた。

森保ジャパンはドイツ戦の後半、布陣と選手を代えて、攻め続けた。あの45分間にはスピード、連動、忍耐…日本の強みが、すべて凝縮されていた。劣等感などみじんもない、強い心の格闘の末、力ずくで2点を奪い返して逆転した。そして、まさしく「トップ10のメンタリティー」を証明したのだ。

ドイツの強固なサッカー、「カテナチオ」と呼ばれるイタリアの堅守、フランスの華麗なるシャンパンサッカー。伝統国のスタイルには特徴がある。いずれも長い試行錯誤の戦いの中で、自分たちの特性を融合させて磨き上げられたものだ。日本のドイツ戦の戦いも、四半世紀に及ぶW杯の戦いの集大成だった。これが、世界に誇る日本のサッカーなのだと、私は思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)