『ノミの実験』という話がある。本来2メートルの跳躍力があるノミを、高さ30センチの筒に入れておくと、筒から出しても30センチより上に跳べなくなるという。このノミをもう1度高く跳躍させる方法が1つだけある。高く跳んでいるノミのかたわらに持っていく。すると不思議なことに再び高く跳べるようになるらしい。

大リーグで活躍する大谷翔平や菊池雄星の恩師で、今年1月に日本スポーツ学会大賞を受賞した花巻東高校野球部の佐々木洋監督が、受賞スピーチで語った、あるセミナーで聞いたという逸話である。

この話の意図は2つある。一つは自分の限界は自分の意識がつくりだしているということ。もう一つが、高いレベルの仲間やライバルと一緒に競い合うと、限界は簡単に超えられるということである。

佐々木監督によると、高校生の大谷や菊池を、大学や社会人の練習に積極的に参加させていたという。大谷が3年時に高校生で初めて時速160キロの球を投げたのも、自らの意識の中に限界の壁がなかったからだろう。

プロボクシング世界バンタム級王者の井上尚弥が、KO勝利を収めた4団体王座統一戦を取材しながら、ふいに『ノミの実験』の話を思い出した。所属する大橋ジムの大橋秀行会長から、井上は中学生の頃から出稽古に訪れ、現役の日本王者や世界王者と真っ向勝負のスパーリングを積んでいたと聞いていたからだ。

小学生の頃から素質は突出していたが、同世代の枠にはとどまらず、年齢による壁も意識していなかったという。「日本王者だった八重樫東(後の世界王者)に『中学生にしては強い』と言われ“中学生にしては”という言葉にカチンときて燃えたようです」(大橋会長)。中3の時のエピソードである。

プロ転向後も最強の相手を求めて上を目指した。6戦目で世界王座挑戦。8戦目で2階級制覇。3階級制覇後は同級の最強王者を決めるトーナメントWBSSにも参戦した。決して現状に満足せず、常に高いレベルで戦いを挑み続ける。だから、彼には常人の限界を超えた、高い飛躍ができるのだろう。

4つのベルトはすべて圧倒的なパワーの差を見せつけてのKO勝利で奪った。井上の登場は『日本人は欧米人に比べてパワーで劣る』という思考を過去の遺物にし、日本人が自ら築いた限界の壁も突き崩した。来年はさらに1階級上げて、猛者のひしめくスーパーバンタム級で、4階級制覇を目指すという。いったいどこまで高く跳ぶのか。今は想像もできない。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「スポーツ百景」)