4月11日が「ガッツポーズの日」であることをご存じだろうか。日本記念日協会が登録外の「その他の記念日」としてウェブサイトに明記している。

世界ライト級タイトルマッチ ガッツ石松(右)はロドルフォ・ゴンザレスにKO勝ちしジャンプする(1974年4月11日)
世界ライト級タイトルマッチ ガッツ石松(右)はロドルフォ・ゴンザレスにKO勝ちしジャンプする(1974年4月11日)

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1974年(昭49)のこの日、東京・日大講堂で行われたプロボクシングWBC世界ライト級タイトルマッチで、KOで王座を奪取したガッツ石松さんが、歓喜のあまりコーナーのロープに飛び乗り、両拳を突き上げて雄たけびを挙げた。これを翌日のスポーツ紙が「ガッツポーズ」と報じたことで、全国に広がった。

「念願の世界チャンピオンになって喜びというか、興奮してね。あのポーズはもう無意識で出たの。それから“ガッツポーズ”としてはやってね」と、ご本人が49年前を振り返る。

ガッツ石松対ゴンザレス戦(1974年4月11日)
ガッツ石松対ゴンザレス戦(1974年4月11日)

広辞苑によると「ガッツ」の意味は「根性、気力」。これに「ポーズ」が続くと「握った拳を前や上に突き出す動作」とある。ガッツ石松さんは鈴木石松のリングネームで戦っていたが、2度の世界挑戦に失敗した後、所属するヨネクラジムの後援者に「ガッツのある選手に」と改名を提案されたという。

「当時は練習不足でスタミナが欠けていてね。それをガッツが足りないと言われて、リングネームを変えたの。結果的によかった。何がどう幸いするか分からないよね」

「ガッツポーズ」という表現が最初に使われたのは、ガッツ石松さんが世界王座を奪取する約1年半前の72年(昭47)12月という説もある。当時ブームだったボウリングの専門誌が、ストライクを取ったプロボウラーが見せるポーズを「ガッツポーズ」と明記しているからだ。しかし、一般に広く浸透していたわけではなかった。

4月11日が“記念日”になったのは、60~70年代のボクシング人気と、試合のインパクトが重なったからだろう。

この時代の世界戦は視聴率40%を超える国民的関心事。戦前の予想は、8割近いKO率を誇る王者ゴンザレス圧倒的有利。それが、勝ち目なしとみられていた11敗も喫していた挑戦者が8回KO勝ちしたのだ。しかも、層の厚いライト級でアジア人初の世界王者。歓喜のポーズに国民も大いに共感した。幾多の挫折を乗り越えて頂点に立った感動ドラマに“ガッツ”のリングネームは実によくマッチした。

世界ライト級タイトルマッチ ガッツ石松(右)はロドリオ・ゴンザレスを幻の右で倒しKO勝ち。新チャンピオンとなる(1974年4月11日)
世界ライト級タイトルマッチ ガッツ石松(右)はロドリオ・ゴンザレスを幻の右で倒しKO勝ち。新チャンピオンとなる(1974年4月11日)

「誰も世界王者になれると思っていなかったから、世間も驚いたんだろうね。それだけインパクトがあったんだと思う」

「ガッツポーズ」という言葉が、和製英語として定着してまもなく半世紀。その是非を巡って、議論になったこともある。09年の大相撲初場所で優勝を決めた横綱朝青龍が土俵で両拳を突き上げた行為に「相撲道の精神にふさわしくない」と武蔵川理事長が厳重注意した。甲子園の高校野球では投手の派手なガッツポーズを、審判が注意するシーンも何度かあった。

それでもガッツポーズはスポーツの名場面とともに、日本人の記憶に刻まれてきた。3月のWBCで優勝を決めたマウンド上の大谷翔平のガッツポーズは記憶に新しい。元祖のガッツ石松さんがこう話す。

「みんなもっと大げさにやってもいいよね。だってガッツポーズは自分だけじゃなく、喜びを人にも伝えて分かち合うものだから」

【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

21年7月、インタビューでガッツポーズを披露するガッツ石松氏
21年7月、インタビューでガッツポーズを披露するガッツ石松氏

◆1974年4月11日 WBC世界ライト級タイトルマッチ(東京・日大講堂)挑戦者・ガッツ石松(ヨネクラ) 8回2分12秒KO 王者・ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)

対戦前の石松の戦績は26勝(15KO)11敗5分けで、それまで2度の世界挑戦はいずれもTKO負け。ゴンザレスは57勝中48KO(5敗)の強打を誇る名王者。7回まで一進一退も、8回1分過ぎに石松が試合後に「幻の右」と形容した強烈な右ストレートで先制のダウンを奪う。立ち上がった王者は再び倒れ込んだが、レフェリーが抱き起こして場内騒然。再開後に石松が連打で再びダウンを奪いKO勝ちした。この後、石松はゴンザレスとの再戦にもKO勝ちするなど5度防衛に成功。大番狂わせではなかったことを証明した。