船村徹

美空ひばりさんの二十三回忌法要であいさつする船村徹さん
美空ひばりさんの二十三回忌法要であいさつする船村徹さん

歌謡界を代表する大作曲家・船村徹。手掛けた曲は5500を超える。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。出世作は1955年、春日八郎が歌って大ヒットした「別れの一本杉」。作詞は高野公男。ヒットに恵まれない苦しい時代をともに過ごした大親友。だが高野は翌年26歳の若さで肺結核のため亡くなった。船村は言葉でも多くの人の心を引きつけていた。船村徹記念館で開催された「手紙展」で、闘病の高野に宛てた手紙が公開されていた。「君が回復するのを待っている」と切々と綴っている。上記の名言は手紙に書かれている歌。2017年2月16日、84歳で旅立った船村は亡くなる前まで高野の墓参りを欠かさなかった。

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<芸能・2017年12月30日掲載>