指先のしびれなどに悩まされる「胸郭出口症候群」の修復手術を受けるアーチェリーの山本博(57=日体大教)の表情には、全く不安の色はなかった。

04年アテネ五輪男子個人で20年ぶりのメダル(銀)を手にした時に語ったのが「次は20年かけて金メダルを目指します」。24年パリ大会で現実のものにするため、57歳のベテランは「もう1度世界トップに戻りたい」と強い覚悟を見せる。

左右の最上部にある第一肋骨(ろっこつ)の一部を取り除く手術を、群馬県内の病院で今月下旬に受ける。「リハビリでいつ治るのか分からない未来を望むより、手術で改善されるなら、その可能性に懸けたいです」。

来夏に延期となった東京五輪代表選考会敗退後、24年パリ大会出場を目指して6月中旬に今季初戦に臨んだ。新型コロナウイルスの影響で約3カ月間実戦から離れていた。徐々にコンディションを上げていく中、7月の試合中には腕にしびれを感じた。

同じ的を目がけて矢を射る五輪代表候補選手とは、試合中盤に拮抗(きっこう)する場面もあった。山本は「しびれを感じると弓が楽に打てず、記録も伸びません。五輪を目指す選手と闘うに当たって、体を完全に治さないといけないなと思いました」と手術への決意を後押しした。

しかし、これまで支えてきた家族は当初反対だった。16年4月に筋断裂した右肩の腱板(けんばん)をつなぐ治療を受けて以来、手術は2度目。「妻は私がまた体にメスを入れるのは反対していました。『私は賛成じゃないけど…』と言っていました」。競技者としてもう1度トップに返り咲きたいとの夫の意向を尊重し、最後は手術に同意したという。

競技を続ける原動力は、金メダルを取るという自分で決めた約束のためだけではない。日頃応援してくれる同世代の期待に応え、アーチェリーをもっと身近なスポーツにしたいからでもある。

日体大3年で出場した84年ロサンゼルス大会で銅メダル獲得後、00年シドニー大会では代表漏れも経験した。04年アテネ大会では20年ぶりにメダルを獲得。2個目のメダルを取るまでにかかった歳月とその成果が、ひたむきに頑張り続ける意義を証明した。

周囲の反響は、予想以上だった。山本は「今でも同世代の方から激励を受けたり、元気をもらったと言われることがあります。自分が競技に励む姿で、がんばろ~と背中を押しているんだと実感しています」と話す。

20代で銅、40代で銀を獲得した山本は、「金」を目指す24年パリ大会時には還暦を迎えている。アーチェリーは自分の体や腕力に合った道具を使用すれば気軽に楽しむことができるため生涯スポーツに推奨されているが、60代になっても第一線でプレーできるのはまれだ。16年リオ大会で同種目の男子個人「金」に輝いた韓国人選手は、大会時に20代前半だった。

それでも、「中年の星」の愛称で親しまれるベテランは、ここで負けるつもりはないと再起を誓う。今年で競技生活46年目を迎えてもなお、飽くなき向上心を宿し続け、虎視眈々(たんたん)とトップの座をうかがう。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)