ホンダが5月24日、東京都内で記者会見を開き、26年からF1復帰すると発表した。

英アストン・マーチンに、内燃エンジンにハイブリッド技術を組み入れたパワーユニット(PU)を供給する。F1は26年から環境負荷が低いPUを導入することになっている。会見でホンダの三部敏宏社長は「ホンダの目指す方向とF1のレギュレーション変更が合致した」と述べた。

64年にF1初参戦し、80年代後半から90年代序盤には英マクラーレンとのコンビで黄金時代を築いたホンダ。

参戦と撤退を繰り返してきたが、21年に「第4期」が終了した後も、傘下のホンダ・レーシングを通じ、レッドブルとアルファタウリの2チームにPU製造、運用などの技術支援を続けてきた。

一方のアストン・マーチンは今季、製造者(コンストラクター)部門で総合2位につけている。そのドライバーラインアップは、チームオーナーの息子であるランス・ストロールと、アルピーヌから移籍したフェルナンド・アロンソだ。

アロンソは05、06年のワールドチャンピオン(チームはルノー)。15年には7年ぶりにF1復帰したホンダと組んだマクラーレンに所属した。

この年に、F1ファンが忘れられない「ある出来事」が起きる。

シーズン当初からホンダPUのパワー不足及び信頼性の低さに苦しんだアロンソは、ホンダのホームである同9月の日本GPで不満爆発。思うように加速できず、マックス・フェルスタッペンにあっさり抜かれ、エンジニアとの無線で「GPエンジン! GP2! アーーーーーーッ!(傘下レースのGP2のエンジンみたいだ!)」と絶叫してしまった。この発言は国際映像にピックアップされ、全世界のファンが何度も繰り返し聞くことになった。F1ドライバーが、マシンの設定やレース戦略ではなくPU性能自体を否定するのは極めてまれなことだ。

レギュレーションが大きく変わるとき、強豪メーカーやチームはルール施行の数年前から開発に着手するのがセオリーだ。この年から第4期をスタートさせたホンダは、序盤から大きく出遅れてしまった。しかも複雑になったPUの開発は、1度後手に回ると挽回が極めて難しくなる。

加えて、マクラーレンはホンダとのジョイント復活に際し、マシンを極限にまで高効率に仕上げるための「サイズゼロ」という超コンパクト化のコンセプトを打ち出した。当時最強だったメルセデスに対抗するための戦略ではあったが、結果的にさまざまな不具合が発生して、求めていたパフォーマンスも得られなかった。

チームの不振はホンダのPUだけが理由だったはずはない。実際、18年にPUをルノーに替えたマクラーレンは、その年をコンストラクターズ6位で終えており、不振を脱せずにいた。マクラーレンのシャシー設計にも理由もあっただろう。

18年のアロンソは、F1と並行して「世界耐久選手権(WEC)シリーズ」にトヨタからフル参戦。「ルマン24時間」で総合優勝に輝いた。アロンソは世界3大レース全制覇(トリプルクラウン=モナコGP、ルマン24時間、インディ500)にリーチをかけて、17年から参戦するインディ500にも挑んでいた。

しかし、過去のPU批判が災いし、アロンソは「ホンダ出入り禁止」状態となり、インディカーシリーズ参戦においてホンダからマシンへのエンジン供給を拒否されていると、まことしやかに伝えられた。

マクラーレンとのタッグを解消したホンダは、18年からトロロッソ(アルファタウリの前身)とパートナーを組む。

チーム代表のフランツ・トストは、90年代後半にラルフ・シューマッハー(「皇帝」ミハエルの弟)のマネジャーとして日本で生活した経験がある。トスト代表は「時間を与えれば、ホンダは必ず復活する」と信じていた。その読み通り、ホンダは徐々に本領を発揮していく。レッドブルもホンダと共鳴し、フェルスタッペンの2年連続ドライバーズタイトルと、22年コンストラクターズタイトルの獲得に至った。

F1を貫く大きなフィロソフィーは、欧米流の個人主義に包括されるある種の「利己主義」だ。日本から生まれたホンダは、利己主義の荒波にもまれながらも「利他主義」ともいえる振る舞い(第3期撤退に当たりチーム株式をロス・ブラウンに“たった1ポンドで売却”した件など)を見せてきた。まさに「和をもって貴しとなす」である。

アストン・マーチンが26年までにチーム体制をどのように変えていくか。

会見の質疑応答でも、かつて確執のあったアロンソの去就がどうなるか、が質問された。ホンダ三部社長もホンダ・レーシング(HRC)渡辺社長も「過去の話」とし「天才的な選手」とリスペクトを示しつつ「ドライバー選出はチームに決定権がある」とした。これからさまざまな名前が挙がるだろうが、ふさわしいのはホンダやチームと「和の精神」でうまくやっていけるドライバーだろう。

日本人としては現在、唯一のF1フル参戦ドライバーの角田裕毅がホンダPUを積むマシンに乗ってくれたら…とは思う。角田が所属するアウファタウリの本拠地、伊ファエンツァは5月、大洪水に見舞われたエミリアロマーニャ州に位置する。

角田は、ボランティア活動で復旧作業の泥かきに従事したほか、募金なども呼びかけている。ホンダ育成出身であるとともに、レッドブル育成という立場でもある角田だが、献身的な振る舞いは「和」を体現し、ホンダとともに歩むのがふさわしいと期待してしまう。

そして、くだんのアロンソ。アルピーヌからアストン・マーチンへ移籍した今季は飛躍した。

第5戦マイアミGPまでで4度の3位で表彰台に上がり、ドライバーズ3位につけている。5月28日に行われた第6戦モナコGP決勝は、2番手からスタート。テクニカルなコースの上に降雨で非常に難しい状況の中、ベテランらしい、安定したレース運びで今季自己最高の2位フィニッシュした。

41歳のアロンソ。この勢いを維持できるなら、過去の確執も不問となるかもしれない。

アロンソ本人も最近はホンダへのリスペクトを語っているし、26年シーズンもアストン・マーチンのシートを手放すことはないかもしれない。

「ホンダのF1史第5章」。

果たしてどんなストーリーが待ち受けているのか。【大津賢一】


◆大津賢一(おおつ・けんいち)神奈川県秦野市出身、92年入社。整理部→電子メディア→整理部と内勤畑を渡り歩き、現在は報道部で釣り担当。幼少期から父親の影響で車好きに。学生時代にF1やルマン24時間レースなどをテレビ観戦し、その魅力に取りつかれる。94年からポッカ1000kmレース(現鈴鹿10時間)をほぼ毎年観戦。電子メディア時代には鈴鹿8耐取材や大阪の2輪レースチームの密着取材などを経験した。

マクラーレン・ホンダのスタッフ、ドライバーは全員集合して記念撮影し、気合を入れる。ドライバーは左からフェルナンド・アロンソ、ストフェル・バンドーン、ジェンソン・バトン(2016年10月撮影)
マクラーレン・ホンダのスタッフ、ドライバーは全員集合して記念撮影し、気合を入れる。ドライバーは左からフェルナンド・アロンソ、ストフェル・バンドーン、ジェンソン・バトン(2016年10月撮影)