「こんな銀メダルもあるんだな」。レスリングで五輪3大会出場の高谷惣亮(34=拓大職員)が小さな勲章を握りしめ、「感慨深いですね!」とすがすがしい顔で言うのを見ていて、心を揺さぶられた。

6月16日に行われた明治杯全日本選抜選手権のフリースタイル86キロ級決勝。高谷は石黒隼士(自衛隊)に敗れたマットの上にいた。国内では10年ぶりの敗北。14年世界選手権で銀メダルの金字塔を打ち立てた74キロ級から79キロ、そして86キロ級と階級を上げた歩みの中で、国内では中重量級に君臨し続けてきた。全日本選手権では実に12連覇も誇った。

34歳は、記憶のかなたにあった黒星の味を思い出しながら、うれしそうだった。

「勝負ごとの世界の中で、悔しくないっていうのは失礼だとは思うんですけど、あんまり悔しいっていう気持ちはなくて」。

誤解を招きかねない発言を隠さない。いま、試合に出た意味が明確にあった。

「今回、僕が出ることで、若い子たちの壁になるっていうのが、僕の中でベストだったので。自分が出ることで、他の若い子たちが一生懸命やる。で、僕も壁になることで、僕を倒して世界選手権代表になるっていうのが、本当の日本の86キロの代表だと思うので」

長年所属したALSOKを退社し、母校の拓大の監督に就任したのは4月。同時に、筑波大大学院にも通っており、マット以外の時間が生活の多くを占める。昨年には父にもなった。

この日も、本来は午後の決勝に向けた調整の時間に、教え子の試合のセコンドについていた。十分な練習時間の確保は難しい。五輪も3大会に出た。実績も十分。節目に引退しても良かった。ただ-。

「多分そこで文句言う人って誰もいなかったと思うんです。でも、俺は現役の時に負けなかったっていう風に言うのか、俺は最後の最後まで戦って、負けるまで最後まで戦ったっていう風に言うのかっていうのは、僕は後者の方がかっこいいなと思ってて。勝ったまま終わるので、逃げみたいな感じ。人間は負けるものだと思って。で、負けた時にまたなんか次の新しい景色だったりとか見えるのかなって」

実際に負けた。思う所を端的に言った。

「今、僕、すごいなんか気持ちいいんです!」

アスリートならば、自らの衰えを敏感に感じ、負けが怖さを生む事にも、一層の恐怖がある。加齢、練習量の低下などでパフォーマンスを落とさざるを得ないことに、ジレンマはないのか。聞くと、これも高谷らしかった。

「もどかしさ、全然ないです。自分の中でブランクとか感じたこと全くなくて。動けないものには何かしらの原因があるんです。それは老いだったりとかって言われるのはあるんですけど、僕の中で老いっていうのは言い訳だと思ってて。やっぱり現状のベストを出すっていうのが1番だと思うので。現状のベストを出したことでもどかしさを感じるのは、出しきれてないと思うんで」

この真っすぐな態度。ロンドン五輪後から担当として接してきたが、安易な言い訳に逃げずに結果を残し続けたからこそ、その言葉は響く。

実際、この日の決勝後のインタビューの第一声は、こうだった。

「石黒選手やっぱり強くなってたので、うれしいです。今まで簡単にちょっと足触らせちゃうところがあったんですけど、海外の選手と経験を積むにつれて、足を触らせないようにするっていうことが本人も自覚できたと思うんで」

上から物を言っているのではなく、本当に後輩の成長がうれしかった。全盛期に比べたら落ちるいまの実力を敗因に一切並べずに、石黒への期待を語った。

この試合だけではない。ずっと意志は伝えてきていた。後を託された石黒も「何年も前から言われてきました。それでも負けてしまってて、悔しいけど、人間的に憎めない人。うれしい気持ちもありました」と振り返った。

この日、試合後に、あらためて会話があった。高谷は「86キロでオリンピックに行けるのは日本ではお前しかいないから、ちゃんと今度の世界選手権で(五輪切符を)取ってこいよ」と発破をかけた後、「もしも取れなかったら俺が取る」と笑顔で背中を押した。日本レスリング界としての視点で常に物事を思案してきたのもこの人らしく、敗北直後でも変わらなかった。

インタビューの最後、首に掛かった銀メダルの行方を聞いた。

「まあ、子どもに渡しておきます。お父さん頑張ったんだぞ。『お前もやるか?』って(笑い)。俺がちょっと最後負けちゃったから、じゃあお前これを金色にしてくれって」。

軽妙な答えも、高谷の魅力。そして、「お疲れ様でした」と声をかけそうになって、踏みとどまった。

「ワンチャン、来年、マスターズで戦おうかな、世界選手権優勝しちゃおうかな」。

湿っぽさは皆無。とことん胸のすく、銀メダルレスラーの雄姿だった。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)