アスリートの生い立ちや人生のターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。ジャパンサイクルリーグ(JCL)は3月25日カンセキ真岡芳賀ロードレース、26日カンセキ宇都宮清原クリテリウムで開幕します。開幕に合わせ、宇都宮ブリッツェンに新加入し、いきなり主将に任命された谷順成(28)に話を聞きました。全3回の2回目。(取材・構成=沢田啓太郎)

◆谷順成(たに・じゅんせい)1994年8月4日、岐阜市生まれ。各務原高から関西大に入学し、卒業後の2017年にヴィクトワール広島に入団。20年から那須ブラーゼンで活躍し、今年から宇都宮ブリッツェンに移籍。身長171センチ、体重68キロ。

-スポーツの世界でナンバーワンになることを小さいころから描いていた

谷 バレーボールでは県大会で優勝したことがあるし、サッカーでも東海地域で勝って、中学校のとき全国ベスト8までいってます。けっこうまじめにやっていました。高校の時にはインターハイも選手権も県予選の決勝で負けちゃったので、全国にはいってないですけど。

-バレーボールとサッカーの二刀流ですか

谷 同じ時間軸でやっていないので二刀流ではないです。

-バレーボールは中学校の時から

谷 いえ、小学校4年生の時くらいですかね。4年生の時に6年生のチームでセッターやっていました。

-サッカーは

谷 小学校5、6年のころからですね。高校卒業までやって、大学で1年間サッカーのサークルにいて2年生から(自転車部に)入った。だから今年でちょうど10年間かな、競技歴が。たぶん。

-サッカーではプロを目指さなかったのですか

谷 最初は目指していたんですけど。僕、キーパーで。

-えっ、ゴールキーパーですか?

谷 ご覧の通り、背が高くない(身長171センチ)ので、だんだん歯車が合わなくなってパフォーマンスも上がらなくて。

-見た目はMFかFW

谷 バレーボールやっていたので最初からキーパーでした。(手を使う)バレーボールできるイコールキーパーできるでしょ、って。だからあまり足元の技術がつくこともなく。

-もしサクリファイスという小説に出会わなければどんな人生だったでしょうか

谷 想像つかないですね、今となっては。大学4年の時に一応就活はしたんですよ。プロになりたいなって思ったのは本当に4年生になってからなので。いろいろ企業さんを回って、いろいろ面接があって、就活って、より自分のことを考えるじゃないですか。その時に悔いなくできることって何だろうって思って。自分の小さいことからの目標、日本一になりたいとか、そういう目標を追いたいなと思って。あっ、もちろん、成績が伴わなければプロにはなれない。最後のインカレで20位以内に入らなければ、就活を進めてそのまま就職、20位以内に入ったらどこか(チーム)を当たろうと思いました。そして20位以内に入りました。

-プロになるときに誰かに相談されましたか

谷 プロに進もうかどうかですか? それはないです。自分でちゃんと線引きして、インカレ20位以内ならと決めていたので。選択であまり迷うタイプではありません。だから自転車も、やりたいなと思った翌日に入部届を出しました。自転車部の人はちょっと見学したいだけかと思ったようですが、いやそのまま入部したいですって言って。向こうが驚いていました。同じ大学の人ではないのですが、立命館の2歳上の先輩が当時広島(ヴィクトワール)にいて、インカレ終わったあとに「入りたいんですけどコンタクト取ってくれませんか」とお願いしました。いま広島って、外国人も入って強いですが、当時はまだ若手を育成しようという感じだったので、そこまで実績のない自分でも入れてもらえたっていう感じですね。運が良かったです。(つづく)

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