口を真一文字に結んだ兄の表情が強烈な印象を残した。

 男女計10階級の決勝で、最も白熱した戦いとなったのは男子73キロ級。その戦いで敗れたのは、92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦(47=環太平洋大柔道部監督)の長男颯人(はやと、17=愛知・大成2年)だった。

 対峙(たいじ)したのは、小学校時代からのライバル立川新(17=愛媛・新田2年)。けんか四つの組み手から、互いに技のタイミングを見計らう展開は、延長戦へと突入した。削られる体力に技のキレ味も落ちて決め手は欠くが、気力を振り絞る両者。審判が「待て」をかけ、道着の乱れを直すように注意する度に、指導を予感した観客がざわめく。そして、そのまま「始め」の声がかかると、再び大歓声が起こる。

 最後は9分50秒。立川の足技を嫌がって畳外に下がった古賀に無情の指導。「最後まで気持ちをつなげなかった。信じたくなかった」と目頭を熱くする古賀。「試合中も弟が勝っていて、ここで負けていられないと思ったんですけど…。最後は指導で…」。心を占めていたのは、弟の玄暉(16=愛知・大成1年)の事だった。兄の試合の前に行われた男子60キロ級の決勝で、菅原大斗(新潟・豊栄2年)に指導の差で優勢勝ち。兄弟でのアベックVを直前にしながら、あとわずかで届かなかった自分を情けなく感じていた。

 そして、ここからが「試練」でもあった。各階級の入賞者が集った表彰式後、注目は古賀兄弟に集まった。金メダリストの息子2人の活躍。当然注目は集まる。だが、負けて準優勝、しかも2年連続の2位に、颯人に喜びはみじんもなかった。それでも、答えなければならない。全国大会とはいえ、高校生の大会。きっと、金メダリストの息子でなければありえない状況だろう。しかも、隣には優勝した弟がいた。

 父稔彦さんは2人について、「弟が上に向かう気持ちが強い。お兄ちゃんはもう一踏ん張り、貪欲になれるところがあるかな。自分で何をすればいいか考えるところが必要です」と愛情を込めて話す。兄弟にありがちだが、兄は面倒見が良く真面目。弟は我が強く、良い意味でやんちゃ。古賀家でも同じだった。

 だから、兄は負けた直後にかかわらず、しっかりと「真面目」に取材に応じ、弟の優勝を祝いながらも、その横で口を真一文字に結んでいたのだろう。「一緒に優勝したかったので悔しい」と話す弟以上に、悔しかったに違いない。

 20年東京五輪で一緒に金メダルをつかむ。目標は同じ。それだけに、今後も2人で取材を受ける機会は増えるはずだ。普段は「お前の方が弱い」「オレの方が強い」と言い合いながら切磋琢磨(せっさたくま)する仲が良い兄弟。この日、多くの報道陣に囲まれるなかで、それぞれ何を感じただろうか。

 父稔彦さんが兄に求める「貪欲さ」。それを生むための1つのきっかけにできるかどうか。5年後、同じ日本武道館で行われる20年東京五輪の柔道で、もし古賀颯人が悔しさとは違う表情をみせていたなら、ぜひ聞いてみたい。「15年の全国高校柔道の時に、弟の横で取材に答えた経験は、いまにつながっていますか?」と。