プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月24日付紙面を振り返ります。2013年の3面(東京版)は安藤美姫の現役引退表明を報じています。

 ◇ ◇ ◇

<フィギュアスケート:全日本選手権>◇23日◇さいたまスーパーアリーナ

 母としての挑戦が終わった。安藤美姫(26=新横浜プリンスク)が現役引退を表明した。SP5位からのフリーは106・25点で、合計171・12点の7位。ソチ五輪出場の最低条件だった表彰台には立てず、「今日が競技者としては最後」と決意を述べた。

 4月の女児出産を経ての3度目の五輪への挑戦。4回転ジャンプにも成功した元世界女王は「ジャンプの安藤美姫」としての姿を氷上に刻み、17年のスケート人生を終えた。

 「『ジャンプの安藤美姫』と言われたときの気持ちでやりたかった」。SPを5位で終え、優勝しかソチへの道はないと覚悟を決めたのは前夜。「きれいに終わるのではなく、最後は自分らしく終わりたい」。子供のころ、ただ跳ぶのが楽しかった。14歳で4回転ジャンプに成功。女子初の快挙でフィギュアブームを巻き起こした。誰もできない領域まで達した自分…。本性が土壇場でうずいた。

 3回転サルコー-3回転ループ。周囲を見渡しても完璧に跳べる現役選手はまれな超高難度技。挑むことがアイデンティティーだった。6分間練習では回転不足になり、ギリギリまで迷いながら道は決まった。

 冒頭の3回転ルッツ-2回転ループを決めた直後。異例の高難度連続ジャンプを2回続ける。「抜けてしまった」結果は1回転に。連続技にもできず。その後のジャンプもミスが続いた。それでも「向かっていけた」。演技を終え、五輪への挑戦が終わったことは分かった。自然と目は赤くなる。交錯する思い。最後の最後に「ジャンプの美姫」で終われたこと。その達成感がすべてだった。

 「ここには母ではなく、選手として来ている」。会場では競技者として集中するため、毎大会こだわってきた。同時に、会場から離れれば、やはり「母として娘のために」という思いが日々の原動力であった。

 9月のネーベルホルン杯。3季ぶりの復帰戦の舞台となったドイツに一緒に渡った。飛行機の中では授乳しながら、耳の気圧調整をした。久々の試合会場。世界のトップ選手の張り詰めた緊張感を感じながら、宿に帰れば娘の顔があった。自然と心が和んだ。

 試合では産後半年もたっていなかったにもかかわらず2位。表彰式直後、小さな町の暗い夜道を徒歩で向かったのは娘の元だった。日付が変わろうかという時間まで母の帰りを待っていたその小さな首に、銀メダルをかけて柔らかくほほ笑んだ。「ママ、やったよ」。娘も小さな手でメダルを触りながら、小さく笑っていた。この日、年齢制限で会場に入れない娘は入り口付近でフリー「火の鳥」の曲を聴いていた。

 試合後30分以上たっても、熱い涙は途絶えることはなかった。今後は指導者の道へ。経験、技術を後進に伝える。「スケートを始めた9歳からの夢。五輪の舞台に立たせてもらいましたが特別な場所。1人でも多くの子供に行かせてあげたい。夢を与えてあげられるような先生になりたい」。大きく、母の笑顔が揺れていた。

◆安藤美姫◆ あんどう・みき。1987年(昭62)12月18日、名古屋市生まれ。中京大中京高に進学し、02年ジュニアGPファイナルで女子史上初の4回転ジャンプ(サルコー)に成功し優勝。06年トリノ五輪15位、10年バンクーバー五輪5位。162センチ、49キロ

※記録と表記は当時のもの