ベテラン宮崎大輔(36=大崎電気)が、左サイドで復活した。15年11月のリオデジャネイロ五輪予選以来1年8カ月ぶりに代表復帰した宮崎は、大学生ら若手とともに先発出場。対韓国「初勝利」は逃したが、右脇腹痛を感じさせない動きで3得点し、目標の東京五輪へ再スタートを切った。

 「いやあ、緊張しちゃいました」。ダグル・シグルドソン監督(44)からの先発指令を「びっくりしました」と振り返ったが、満員のスタンドを見て体が震えた。「あの雰囲気。たまらないですね。代表への思いが強まった」と話した。

 これまで、代表では「司令塔」のセンターが定位置だった。パス回しの核として攻撃をリードし、自らゴールを量産してきた。しかし、シグルドソン監督によって「配置転換」。大分・明野北小3年でハンドボールを始めて以来、左サイドは初めての挑戦だった。

 練習わずか3週間。動き方からボールの受け方、シュートの打ち方、すべてが違う。「慣れるわけないですよ」と苦笑いしたが、それでもこの日は「エース宮崎」を警戒する韓国選手のマークを集めて味方を動かし、得点につなげた。試合中もチームを鼓舞し、若手に的確な指示も出した。

 36歳でのポジション変更にも前向きだ。「サイドから全体を見て、気がつくことも多い。プレーの幅が広がった」。今後の日本代表の戦い方について「僕らサイドの選手が」と言った。意識には「日本代表の左サイド」が根付いている。

 五輪出場を夢見て、04年アテネ大会の予選から戦ってきた。敗れること4回。その度に涙した。開催国として出場が決まっている3年後は夢をかなえるラストチャンスだが、代表入りへの戦いがある。以前は「困った時は(宮崎)大輔」が代表戦術だった。しかし、今は違う。「若い選手はすごいです。でも、コートではライバル。年齢がダブルスコアでも負けられない」と、18歳の部井久を頼もしげに見つめて言った。

 1年8カ月ぶりの日本代表戦。過去何度も苦杯をなめてきた韓国に勝つことはできなかったが、手ごたえはあった。「今日の試合は自信になる。まだまだ、僕いけるでしょ?」。笑顔で発した言葉には、自信がみなぎっていた。