東北フリーブレイズ(アジアリーグ)が昨年覇者の王子イーグルス(アジアリーグ)を1-0で下し、3回目の決勝進出で悲願の初優勝を成し遂げた。スコアレスで迎えた最終の第3ピリオド(P)残り4分に、ルーキーの人里茂樹が値千金のゴールを決め、逃げ切った。若林クリス監督は「選手たちは本当に頑張った」と感無量の表情で語った。

 勝利の瞬間、自然に歓喜の輪ができた。もみくちゃになりながら、たたえ合う選手たち。若林監督は3度、宙に舞った。

 若林監督 初優勝まで9年かかりました。苦い思いもした。本当に難しい大会で、この経験はみんなの財産になる。

 待ちに待ったタイトル。3度目の挑戦だった。3年前の決勝は、終盤に同点に追い付かれ、延長戦の末に2-3と惜敗。田中豪主将(34)が「3年前は悔しい思いをした。この時期になると、毎年思い出す」と語るように、欲しかったタイトル。ようやく、本拠地の八戸、郡山など、遠方からのファンに初の日本一を届けた。息詰まる接戦に終止符を打ったのは、ルーキーの人里だった。

 残り時間は4分を切っていた中、勝負に出た。篠原亨太(こうた、33)からパスを受けた。即座にシュートの選択肢もあったが、「目の前にDFがいたので、あのまま(シュート)なら(DFに)取られたかも」。瞬時の判断で体をターン、バックハンドでシュートした。ターン中にパックを取られたらカウンターの危険性もあったが、見事にマークをかわす。「運があった」と笑みを浮かべた。

 感謝しかない。第3P終盤。自軍のシュートを巡り、ビデオジャッジが行われた。約8分間の長い中断。先輩陣から「まだ終わっていない。集中しよう」とハッパを掛けられて、「チームが締まることができた」と奮い立った。小学校時代に指導を受けた若林監督から誘われ、入団を決めた。「自分のゴールで決めることができた」。最高の恩返しとなった。【秋吉裕介】

 ◆東北フリーブレイズ 08年にアジアリーグ新規参入を目指して発足。09年に新規加盟が了承され、東北地方初のトップリーグチームの誕生となった。11年に初優勝(東日本大震災のため、ハルラと同位優勝)して、計3度リーグ優勝に輝いているが、日本選手権は無冠だった。ホームは八戸市(青森)と郡山市(福島)の2地区に置いている。地域貢献活動を積極的に行い「子供達に夢を与え、地元に愛されるチーム」を目指す。