日本最高峰の戦いがリーグワンになる。W杯、世界につながるラグビーという競技を、国内にもっと根付かせるための試みだ。Aシード3校の一角、東海大大阪仰星(大阪第2)の湯浅大智監督(40)は「ラグビーは競技人数、ゲームの消化ペースなどを考えた時、スポーツビジネスとして成立させるのが難しいジャンル。どれだけのクラブが(自立)できるか」としつつ「でも、僕はもう変わっていい、変わるべき時と思う。ぜひ成功させてほしい」と言葉に力を込めた。

6度目の日本一へ、自分たちも変わらねばならない。今大会、同じAシードの東福岡に3月29日の選抜準決勝で17-46と大敗した。前半は14-12と五分、後半が3-34。NO8薄田周希主将(3年)は「めちゃくちゃ差があった。怖さを感じた」と振り返る。約4カ月前の1月3日、花園の準々決勝で21-21。後半ロスタイム18分までという死闘を演じたライバルは、すでにはるか先にいた。

湯浅監督の見方は厳しい。「花園の試合を“引き分け”と思ってたから、ああいう選抜になった。花園は負け」-。キックパスでスコアを狙われ、反則に救われたシーンを「あれはトライでした」と断じた。ゴール前右中間15メートルで得た反則で、決めたら勝ちのPGを狙わずスクラムを選び、トライを取りに来た東福岡に敬意の念を抱く。歴史的ドローを負けに等しいと感じていたから、額面通りの引き分けと受け止めていた教え子に甘さを感じた。

より高みを目指し、まず湯浅監督が変わった。練習中、選手に関わる機会が減った。従来を10とすれば、今は5か6だ。選手は選手なりに監督の変化を理解、受け止めている。薄田主将は「試合中、ラグビーは自分たちが判断するスポーツ。そういうことでしょう。僕たちに自覚が足りなかった」-。夏の菅平合宿では、東福岡に練習試合で競り負けた。自分で考え、決めて、動く。歴史的ドロー、大敗を経て、何が変わったのか。花園でそれを証明する。【加藤裕一】

◆東海大大阪仰星 1983年(昭58)に東海大仰星として創立、私立の男女共学普通科高校。17年より現校名。ラグビー部は84年創部で、花園出場は3大会連続21回目。過去優勝5回(99、06、13、15、17年度)。部員数110人(3年39人、2年29人、1年42人)。OBに日本代表58キャップの大畑大介氏(元神戸製鋼)19年W杯代表の山中亮平(神戸製鋼)ら。