体操男子で五輪2連覇の内村航平(32=ジョイカル)が現役引退を決意した。11日に発表された。

近年は両肩痛に苦しみ、21年2月からは種目別の鉄棒に専念。4度目の五輪となった東京五輪では落下が響き、予選落ちしていた。昨年10月に生まれ故郷の福岡県北九州市で開催された世界選手権では6位だった。五輪では7個のメダルを獲得、世界選手権でも世界最多の6連覇を飾った「キング」が大きな決断を下した。

 

内村航平の歩み

 

◆89年1月3日 福岡県北九州市に生まれる

 

◆92年4月 両親が長崎県諫早市に開設した「スポーツクラブ内村」で3歳で体操を始める。

 

◆08年8月 北京五輪に19歳で出場。個人総合、団体総合銀メダル。

 

◆09年10月 初出場した世界選手権個人総合で日本勢4人目の優勝

 

◆11年10月 世界選手権個人総合で男女通じ史上初の3連覇。「エレガンス賞」受賞。

 

◆12年7月 ロンドン五輪で日本勢28年ぶりの個人総合金、団体総合銀。

 

◆16年8月 リオデジャネイロ五輪個人総合で44年ぶりの2連覇。団体総合金。

 

◆16年12月 プロ転向。

 

◆17年10月 世界選手権予選で左足首負傷。途中棄権で個人総合連覇が「6」で止まる。

 

◆18年4月 29歳 全日本個人総合3位で11連覇逃す。

 

◆同5月 NHK杯10連覇。

 

◆同10月 右足首故障で世界選手権個人総合を回避。

 

◆19年4月 全日本選手権の個人総合予選で37位に終わり、初出場だった05年以来の予選落ち。

 

◆20年2月 3月に開催予定だった初の冠大会「KOHEI UCHIMURA CUP」が新型コロナウイルスの影響で中止に。

 

◆同2月 東京五輪出場のため、6種目で争う個人総合ではなく、種目別の鉄棒に専念する決断を下す。

 

◆同9月 全日本シニア選手権で1年ぶりの再起戦に臨み、鉄棒で14・200点の6位。新技「ブレトシュナイダー」では連続技につなげられず。

 

◆同12月 全日本選手権兼全日本種目別選手権の予選、決勝と「ブレトシュナイダー」に成功。決勝では15・700点で優勝。

 

◆21年4月 東京五輪国内選考会の初戦、全日本選手権での2回の演技。高得点をそろえる。「種目(鉄棒)から声が聞こえているかのような境地にはいけていると思う」。

 

◆同5月 選考会第2戦のNHK杯でで15・333点をマーク。「自分が目指していたものとはちょっと違ったんですけど、ミスなくやれたところは良かったかな」。

◆同6月 全日本種目別選手権で日本協会の選考基準を満たし、東京五輪代表に選出。日本男子では史上2人目の4大会目の五輪。「本当に良く続けてますよね。本当に体操が好きなんだなと思いますし、どんなに打ちのめされてもここまできているので、心底好きで、追求しての繰り返しだった。ただ、4大会いくとは。自分自身でも考えられないですね、ほんとにすごいな、冷静に」。

 

◆同7月 東京五輪の種目別鉄棒予選で落下。予選落ちし、「『何やってんだバカ!』。それ以上も以下でもない。全部自分のせい。自分に失望している」。

 

◆同10月 世界選手権に出場し、決勝で着地をぴたりと決める。6位も「本当に会心の一撃という形で出せた」。