【モンペリエ(フランス)=松本航】ショートプログラム(SP)首位の坂本花織(21=シスメックス)が初の世界女王に輝いた。フリー155・77点で合計236・09点とし、SP、フリー、合計の全てで自己ベスト更新。2位のヘンドリックス(ベルギー)に18・39点差をつけた。
日本女子の優勝は14年の浅田真央以来8年ぶりで、伊藤みどり、佐藤有香、荒川静香、安藤美姫、浅田に続く6人目(9回目)。樋口新葉(明大)は11位、河辺愛菜(木下アカデミー)は15位となり、来年の出場枠最大3を確保した。
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青の照明で薄暗くなったリンクに、君が代が流れた。坂本は対角で徐々に揚がる国旗を見つめていた。
「うれしすぎて、しんみりきちゃった」
中盤でこらえきれず、右手で涙を拭った。世界一を実感した瞬間だった。泣いて、ほほえんで、また泣いた。曲の終わりと同時に、フランスの観衆が拍手でたたえてくれた。
演技前も泣いていた。
最終滑走。同学年の樋口が苦しみ、3位以下になれば来年の出場が2枠に減る危機だった。
前を滑るヘンドリックスの演技が残り2分に差し掛かり、中野園子コーチに「怖すぎる」と漏らした。試合前に泣くのは5季ぶりだった。
「必死ほど強いもんはない」-。師の言葉に「ここまで頑張ってきたものを無駄にしたくない」と震えを落ち着かせた。
舞台裏はどん底だった。
北京五輪では個人、団体で銅メダルを獲得し、2月下旬に帰国。1週間の隔離中は五輪メンバーとの練習で何とか保ったが、関西に戻り、心が崩壊した。
「完全に燃え尽きた。銅メダルが重荷になって『見ないようにしよう』と思いながら過ごした」
体も五輪に向けて絞った反動で、体力が戻らなかった。普段は朝と夜の練習の合間をコンディション管理に費やす。だが、心身の限界を感じ、好きな砂肝やレバーを食べた。体重は1キロ増えたが、そうして心身の健康が保たれた。
「落ちこぼれみたいな練習が1週間ぐらい続いた。今までで一番大変だった」
フランス出発前日、ようやくフリーをミスなく通せた。信じたのは直近1カ月ではなく、1年間の練習だった。
この日、後半のフリップ-トーループの連続3回転など、ジャンプを全部降りきった。スケート技術など5項目を評価される演技構成点は75・67点。
単純比較はできないが、ウクライナ侵攻で今大会出場できなかったロシア勢を含め、北京五輪の全出場選手を上回った。3回転半、4回転の高難度ジャンプがなくても、違った色を出した。
あふれ出た涙は女王の自覚を生んだ。過去の優勝者の名を聞き「すごいレジェンドの方々の名前の次に花織というのが、しっくりこない」と笑わせ、誓った。
「日本女子を一番で引っ張っていける存在になっていきたい。どんどん強くなれるようにしていきたい」
それまで潤んでいた瞳は、キラキラと輝いていた。