フィギュアスケート男子で冬季五輪2連覇の羽生結弦(27=ANA)が19日午後5時、都内ホテルで記者会見を開く。「決意表明の場」としており、関係者によると進退を表明するという。

夢として追ってきたクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)が国際スケート連盟(ISU)公認大会で初認定された2月の北京五輪後、去就について明言してこなかったが、自らの口で次の道を説明する。

   ◇   ◇   ◇

羽生が、注目の進退について明言する時がきた。マネジメント会社team Siriusが18日に報道各社へ案内を送付。「この度弊社がマネジメントしている羽生結弦(ANA所属)による決意表明の場として下記の通り記者会見を開催いたしますのでご案内いたします」と都内の会場名と会見開始時刻を示した。

「決意表明の場」。複数の関係者によると、羽生は既に進退に関して決断しており、明確に報告する。今月に入り、会見して発表する意向を固め、都内ホテルをおさえて準備してきた。

実績は異次元だ。14年ソチ五輪でアジア男子初のメダルを獲得すると、続く18年平昌五輪で66年ぶりの2連覇。同年、個人最年少の23歳で国民栄誉賞を受賞した。3度目の五輪となった2月の北京大会フリーでは前人未到の4回転半(4A)に挑戦。右足首を痛めた中で転倒はしたものの、世界初の4A認定を刻んだ。

2度の世界選手権優勝やグランプリ(GP)ファイナル4連覇などタイトルを総なめ。20年には4大陸選手権も制し、主要国際大会6冠「スーパースラム」も男子で初めて達成した。成績面はもちろん国内外で数多くのファンに愛された。フィギュア人気を沸騰させた功績は、前例を見ない。

北京五輪期間中の2月14日の会見では「4Aに納得した」「羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら究めていけたら」。最終日20日のエキシビション後は「(競技かアイスショーか)フィールドは問わない」と発言していた。3月の世界選手権(フランス)は欠場したが、座長的立場で出演したアイスショー「ファンタジー・オン・アイス」は5~6月に4都市12公演を完走した。

ただ、進退については正式に表明してこなかった。今月1日に更新された日本連盟の22-23年シーズン強化選手ページに「いつも応援いただき本当にありがとうございます。今シーズンもより高みを目指して頑張ります」と掲載されたが、昨季と同じ。関係者によれば、直接、生の声で進退を明らかにしたがっていた。

決断を口にできるのは羽生結弦しかいない。数々の語録も生んできた男から、新たな挑戦についてどのような決意表明が飛び出すのか注目される。【木下淳】

<羽生結弦語録>

◆ソチ五輪フリーで金メダル(14年2月15日) 「メダリストになれたからこそ、震災復興のためにできることを。ここからがスタート」「19歳でまだまだ若い。次の五輪も頑張ろうと思います」

◆文部科学省訪問(14年7月16日)「(4年後の平昌五輪で)同じ成績を出し、復興に向けて頑張っている地域に少しでも笑顔が増えればいい」

◆平昌五輪で2連覇達成後の一夜明け会見(18年2月18日)「モチベーションは4回転アクセルだけ」

◆全日本選手権一夜明け(20年12月26日)「4回転アクセル(4回転半)を試合で降りたい。自分の心にうそをつかないのであれば、それがないと、今の世の中で競技を頑張る理由がなくなってしまう。幻想にしたくない。壁がない、壁の先を見たい。それだけが今、自分がスケートをやれる理由」

◆北京五輪フリー(22年2月10日)4回転半が世界で初めて認定。「(今後については)もうちょっと時間をください。ちょっと考えたいです。それくらいやりきりました」。

◆北京五輪で個人戦後に会見(22年2月14日) 「まだ自分の中でまとまっていない。これからも羽生結弦として、羽生結弦が大好きなスケートを大切にしながら極めていけたらいい」。