「MIKU TAKAICHI!」

試合開始時間の午前9時30分。会場に選手紹介のアナウンスが響いた。

「一番(最初の試合)なんて、持ってますかね」。

そうほほ笑んで振り返ったのは高市未来(コマツ)、旧姓は田代。女子63キロ級で五輪2大会に出場、世界選手権では銀2、銅2つのメダルを手にした第一人者だ。長く日本代表として戦い続けてきた28歳は、「デビュー戦ですもんね」と、新たな名前で、新たな気持ちでこの大会を迎えていた。

11月1日、ともに世界選手権代表として日の丸を背負った賢悟さんと結婚した。1並びに「そういうことにしておきます」と笑顔。交際8年目での節目となった。「互いにいろいろ経験をしながらいまを迎えてます」。本当に山あり谷あり。リオデジャネイロ、東京と五輪のメダルに届かない現実に打ちひしがれたこともある。ただ、いつもそばには一緒に戦ってくれる人がいた。

5月、その関係に1つの変化の時が訪れた。賢悟さんが現役引退を決断した。もともと東京五輪を最後に引退を考えていた未来が、現役続行の決断を下した後に、夫は支える側に回った。

「私はもっとやってほしいなという気持ちがあったんですけど、本人が決めて。なので、私が柔道を思い切りできるのは当たり前じゃないんだな、好きなことをやれているのは当たり前じゃないんだなというのを、感じさせてもらっているので、そういった部分でも、甘い気持ちは捨てて戦っています」。

互いに納得した上で、いまも同居はしていない。未来は所属の寮生活を続け、会うのは週末。パリまでは環境を変えずに、選手を全うする。

「首の皮一枚でつながっている」。パリ五輪までの現状をそう言い表す。東京五輪後の再起戦となるはずだった4月の全日本体重別選手権を左膝前十字靱帯(じんたい)の負傷、古傷の再断裂で欠場し、代表争いでは出遅れた。10月の講道館杯を制し、手にしたグランドスラム東京の舞台だった。

「後がない。負けられない」。その気持ちが思い切りをそぐ。持ち味の足技で追い込む場面が少ない。ただ、勝ちきること。培ってきた厳しい組み手で活路は見いだしていった。

「これだけのお客さんが日本で応援にきてくれているのに、申し訳ない内容だったな」。

渡辺聖子(警視庁)との決勝でも、相手に「組み手を徹底された。持たせてくれなかった」と言わせるほど勝機を与えずに、指導3つを引き出して、「デビュー戦」を制した。

いまは、今大会で銅メダル、世界選手権では金メダルの堀川恵(パーク24)を追う立場。これまで63キロ級では代表の1番手の立場を堅持し続けてきた身としては、久々に追う立場だ。ただ、国内唯一の国際大会で優勝した価値は大きい。

「『あれ、誰だろう?』って自分でも思ってしまう場面が、自分でも何回かあります(笑い)。昨日、組み合わせが出た時も自分の名前がないと思いました。まだ慣れない部分はあります」

少しうれしそうな戸惑いも、次第に慣れていくのだろう。2年後のパリ五輪、しっくりと畳に上がるまで。今度は夫婦で。高市未来の戦いが始まった。【阿部健吾】