14年ソチ、18年平昌オリンピック(五輪)2連覇王者で、今年7月にプロ転向した羽生結弦さん(27)が創設した初の単独アイスショーが全2都市5公演の千秋楽を迎え、被災地に思いをはせた。

リクエストコーナーで約束した通り「悲愴」を演じる前だった。

「ここ(20年に開業したフラット八戸)ではなく、テクノルアイスパーク八戸さんで作っていただいて練習した曲です。滑りたかった理由は、八戸にゆかりのあるプログラムだから」

東日本大震災が起きた後の翌11-12年シーズンのショートプログラム(SP)だった。仙台市で生まれて2011年の「3・11」で被災し、東神奈川などを転々とした後も、この氷都・八戸で練習した。当時をこう振り返った。

「まだ節電中で一般営業もしてなくて、少し屋根を開けて日の光だけで練習していたんです。この曲では波だったり、海だったり、鎮魂の意味を込めて。いろんな思いをはせて、何でもいいんで、キレイだなって思ってもらえれば僕はうれしいので」

続けて説明したのは、館内ビジョンに流れる映像について。津波に襲われた街など、震災の凄惨(せいさん)な過去が映っていた。

「これから、つらい映像が流れます。選んだのは僕自身です。心の傷をえぐりながら、毎日苦しみながら選んだ映像です。僕の記憶とは違います。氷が波打つ(アイスリンク仙台)で照明が落ちてこない場所を探しながら、先輩に頭を守ってもらいながら『怖い、怖い』って叫びながら、揺られていました。これで世界が終わってしまうとも思いました。次の日、新聞や映像を見て驚愕(きょうがく)しました。幸いにも、僕にはなくしたものはありません。もしかしたら、この中には、なくした方もいらっしゃるかもしれません。自分の思い出だけで語るのは、正直こころもとないですが、できることを続けていきたいなと思っていますし、少しでも皆さんの中の傷が、津波には遭わなくても、何も壊れていなかったとしても、感じていなくても、遠くにいても、それぞれが3・11という記憶と傷を持っていると思います。その傷を少しでも見つめ直して、たまには温めてあげてください。痛みは、それがあったことの証しだと思います。なくなったものは全て戻ってくるわけではないんですけど、この痛みたちとともに、皆さんと前に向かって進んでいけるように、映像と、これからのプログラムたちをご覧ください」

【木下淳】