14年世界選手権銀メダルでソチ五輪代表の町田樹(24=関大)が28日、現役引退を表明した。全日本選手権終了後、来年3月の世界選手権代表(中国・上海)に選出されたが、リンク上で代表辞退と引退を表明。来春から早大大学院スポーツ科学研究科で、フィギュアとスポーツマネジメントを課題に学業にまい進する。独特の発言でも注目された「氷上の哲学者」が突然、競技人生に別れを告げた。

 町田が、現役引退を表明した。世界選手権代表の抱負を述べるためのマイクを握り、氷上で切り出した。

 「突然ですが、ご報告があります。全日本をもちまして引退をすることを決断しました。4月より早大スポーツ科学研究科2年制に入学し、研究者を目指す強い気持ちをもっています。セカンドキャリアの道を切り開きます。心からありがとうございました」

 館内の悲鳴と驚きの声を背中に受けながら、軽やかな滑りでリンクを去った。

 取材エリアではワープロで打ったA4の紙を読み上げて、心境を説明した。アスリートのセカンドキャリアが社会問題となって、自分自身も悩んだこと。今年10月に一般入試で同大学院に合格。来年3月の世界選手権と同4月の入学式の日程が近いために「入学前の準備も必要」と代表辞退→引退を、この日に決断。師事する大西コーチに伝えたという。「何も思い残すことなく、誇りを胸に終止符を打てます。フィギュアとスポーツマネジメントの領域で研究を進めたい」。

 遅咲きのスケーターだった。大学卒業の15年春を区切りとして「最初で最後の五輪」と位置付けたソチで5位入賞。哲学や芸術を好み、将来的にはフィギュアスケートの大会運営や舞台装置のデザインなど裏方の仕事に興味を持っていた。今季は学業とスケートをこなしたが「両立は今季まで。研究に専念します」。

 今後は研究に影響が出ない範囲で、アイスショーには出演する。最後の試合となった全日本選手権。SP、フリーともにミスはあったが「万感の思いを込めた。悔いはない」。順位や得点を度外視した姿は、もはや競技者ではなく、表現者だった。ベートーベン作曲「第九」はフィギュアスケーター町田樹にとって集大成だった。「歓喜の歌」を滑りきって、新しい道に踏み出した。【益田一弘】

 ◆町田樹(まちだ・たつき)1990年(平2)3月9日、神奈川県生まれ。3歳から千葉・松戸市のリンクで競技を始める。家族で移住した広島県で育ち、岡山・倉敷翠松高時代の06年に全日本ジュニア選手権で優勝。関大に進学して12年中国杯でGPシリーズ初優勝。今年2月のソチ五輪で5位入賞、同3月の世界選手権で銀メダル。身長162センチ、体重52キロ。