19日から23日まで千葉県で春季関東大会を取材した。18試合で37本塁打が飛び出すなどあらためて高校生の打力アップを感じさせられた大会となった。

 【18日】

 午後4時過ぎ、東京・築地の会社での通常業務を終え、千葉へ移動。自宅から通えないことはないのだが、メイン会場の千葉県天台球場の記者席は座席がわずか8席ほど。バーのカウンターのような変わった作りで、椅子も固定されており詰めて座ることも不可能。席に座るのは早い者勝ち。私の仕事は試合内容を1イニングごとに書いてネットにアップする「テキスト速報」。つまり席と電源を確保できないことには仕事にならない。そこで早朝出勤に備え千葉市内のホテルに泊まることにした。

 夕方、千葉駅に着いた。改装工事でかなり雰囲気が変わっていた。長いエスカレーターを降りてホテルへ。途中、お腹が空いたので何年か前に入ったことがある「タンメン胖(ばん)」というお店へ。野菜たっぷりのタンメンと餃子、ビール1本(セットで1300円)でガソリン補給した。

 【19日】

 関東大会が開幕。午前5時過ぎに起床。ホテルを出発し、コンビニで新聞(もちろん日刊スポーツ)朝食(サンドイッチ)と昼食(おにぎり)を買って徒歩で千葉駅へ。ここからモノレールに乗って10分ほどで「スポーツセンター」へ到着。まだ午前7時前。天台球場に入り記者席の扉を恐る恐る開けると、無人。無事、一番乗りを果たすことができた。

 サンドイッチを食べながら新聞を読んでいると開会式のリハーサルが始まった。その間、同僚のK記者、H記者も到着。一般紙の記者たちも続々と到着し記者席はあっと言う間に満員となった。

 午前9時、開会式が始まった。昨夏の甲子園を制した花咲徳栄の野村佑希主将が深紅の大優勝旗を披露。スタンドのファンから大きな拍手を浴びた。

 そして同11時、第1試合、花咲徳栄-専大松戸がプレーボール。序盤から激しい点の取り合いになったが、5-9で迎えた8回表、花咲徳栄が7点を奪って逆転した。両校合わせ5本の本塁打が飛び出す乱打戦は14-9で花咲徳栄が制した。両翼92メートルと狭い天台球場とはいえ、まるでプロ野球のような派手な打ち合いだった。

 試合後、本塁打を放った花咲徳栄の1年生、井上朋也外野手を取材した。大阪・四條畷中出身。中学時代は生駒ボーイズ(奈良)で活躍しボーイズリーグの日本代表に選出されレギュラーを務めた逸材だ。180センチ、80キロの堂々たる体格だが、さすがにまだ15歳。顔にはあどけなさが残る。「生駒ボーイズの監督と(花咲徳栄の)岩井監督が大学(東北福祉大)の先輩、後輩で、岩井監督が埼玉から大阪まで何度も通ってくださって。『こんな先生はいないぞ』って言われて、花咲徳栄への入学を決めました」という。昨夏は甲子園のスタンドで2試合、花咲徳栄の試合を観戦。「自分も日本一になりたい」との思いを強くしたそうだ。この日の本塁打が早くも通算5本目。チームの先輩にはプロ注目でこの日も通算52号を放った野村佑希外野手がいるが「野村さんを抜いて卒業までに80本ぐらい打ちたい」と話した。強打の花咲徳栄にまた1人、プロを狙えるスラッガーが加わった。

 【20日】

 この日は午前9時から3試合。第1試合に地元の木更津総合が登場、第2試合は横浜-明秀日立の好カード、第3試合には浦和学院も出てくるとあり天台球場は早朝から切符売り場に長い列が出来ていた。

 この日も無事、席を確保。第2試合で横浜に1-6で逆転負けした明秀日立の金沢成奉監督を取材した。3回に細川拓哉投手(3年)のソロ本塁打で1点先制。その1点を細川が8回まで守ったが、9回に一挙6点を奪われて敗れた。

 金沢監督は「センバツで明徳義塾の馬淵(監督)さんが言ってました。27個のアウトを取らないと勝てないと。24個じゃ勝てないです」と話した。

 試合前は5点勝負を予想していた同監督だったが5回を終えて1-0。細川投手に「勝つなら完封しかないぞ」と声を掛けたという。それでも8回にリラックスさせる意味で「1点取られてもいいんだよ」と言ったという。そして9回。先頭打者に三塁打を打たれた。続く代打万波を三振に仕留めたところでマウンドに伝令を出して「内野前進で行くぞ。1点もやらないぞ。ギアを上げて」と指示。しかし5番内海に痛恨の逆転2ランを浴びた。その後は守備の乱れもあり計6失点。試合は決まった。監督とエースの微妙な心理の変化。なかなか興味深かった。

 【21日】

 天台球場の第1試合で事件が発生した。電光掲示のスコアボードが故障した。試合前からコンピューターのシステム障害によりが表示できない状態が4回終了時まで続いたのだ。

 得点、選手名、ストライク、ボール、アウトカウント、ヒットやエラーの表示がまったくできない。場内放送でその旨が説明され、イニングの終了ごとに得点もアナウンスされた。大会本部は3回途中、スコアボード下の芝生席に手動式のBSO表示を設置。球場内にあった黒板に近くのホームセンターで購入したマグネット式の赤、黄、緑のシールを付けるというまさに手作りのものだった。これでボールカウント、アウトカウントは何とか分かるようになった。

 その間、大会委員の東総工(千葉)の先生がスコアボードを自力で修理。ようやくトラブルが収まり5回からスコアボードが復旧した。

 隣に座っていた同僚のH記者に望遠カメラで手動式のカウント表示板の撮影を依頼。私が速報記事を書き写真を付けてネットにアップ。さらに追加取材をして書き直した。天台球場は25年前の夏の県大会でも暑さでスコアボードが故障したという。同球場は今夏の千葉大会後に大規模な改修に入るという。それにしても東総工の先生が修理してしまうとは。さすが高野連、人材豊富である。夏の大会が終わるまで何とかスコアボードには頑張って欲しい。

 【22日】

 この日は準決勝。2試合とも9-8で9回サヨナラという珍しいことが起こった。

 第1試合は日大三が常総学院を破った。日大三が4本、常総学院が2本と計6本塁打が飛び出した。試合後は日大三の小倉全由監督と9回に同点本塁打を放った日置航主将を取材。小倉監督は9回のサヨナラの場面(1死満塁から高木がサヨナラ安打)をふり返り「スクイズしないと勝てないのかなあ、と思っていたら打っちゃった」と苦笑い。日置主将は互角に打ち合った常総学院について「試合前のじゃんけんで向こうが勝って先攻を取ったんです。相当、打撃に自信があるのかなと思いました。常総学院はこれまで戦った中で一番強いと思いました」と相手の打力を称えていた。

 【23日】

 決勝戦はこれまた乱打戦になり15-10というスコアで健大高崎が日大三に勝った。

 試合後は健大高崎の青柳博文監督を取材。「機動破壊」が売りだが、いつの間にかそれに強力打線が加わっていた。これまで甲子園の最高成績は4強。同監督を甲子園で何度か取材したが敗れるたびに「本塁打の重要性」を話していたことを思い出した。甲子園では一発で流れや球場の雰囲気が変わる。それを過去の敗戦から嫌というほど味わってきた。そんな敗戦を糧に打力アップをはかってきたのだろう。「今の野球はいかにビッグイニングを作るか」と監督は話した。ロースコアの接戦では得意の機動力で1点を取りにいける。それに加え、打撃戦になっても勝てるということをこの関東大会で示して見せた。大会37本塁打のうち7本を健大打線が放った。「100回大会、優勝目指して頑張ります」と青柳監督は手応えを感じたように会見を締めくくった。