小田急線「玉川学園前」で降りると、駅前にはキャンパスが広がっている。

 玉川大学。私には、薬師丸ひろ子の出身校として記憶に刻まれている。硬式野球部は全国的に決して有名ではない。だが、2014年から樋澤良信監督(67)が指揮を執り、成長株として注目されている。

 樋澤監督は元巨人選手で引退後はスコアラーや寮長を歴任した。岩手県久慈市の出身で、兄の正明さんは同市で「喫茶モカ」を経営している。NHK朝ドラ「あまちゃん」に登場した「喫茶リアス」のモデルとなった店である。ここでも薬師丸ひろ子につながっていた。


 樋澤監督 もう向こう(兄)の方が有名になっちゃってさ。卵サンドとかね。最近は帰っていないよ。冬に帰るのは大変だし、それ以外はシーズンで野球があるからね。


守備の基本練習を指導する樋澤監督
守備の基本練習を指導する樋澤監督

 2010年に定年を迎え、巨人を退団した。以来2年ほどは「横浜北シニア」で中学生を指導していた。そこに玉川大の指導者の話が入ってきた。やはり元巨人投手の関本四十四氏(68)の夫人が玉川大出身という縁からだった。ちなみに関本氏もコーチを務める。また、巨人でトレーニングコーチを務めていた杉山茂氏(67)もコーチとして在籍している。元ジャイアンツの3人で指導している。

 樋澤監督は臨時コーチから始め、アマチュア指導資格を取得した2014年から監督に就任した。

 プロ出身の3人で、どんな高度な技術を指導しているのか。そう問うと、樋澤監督は笑った。


 樋澤監督 来た時はサークルかと思ったぐらい適当でね。まったく野球になっていなかった。あいさつなどの礼儀もなっていなかったし、そこからだよ。「走りながらではなく止まってあいさつしなさい」「時間を守りなさい」。こういうのが野球につながるよ。社会に出てからも大切なんだよとね。最初は怒鳴りっぱなしだったな。


 関本コーチも笑って振り返る。「最初の数日間で樋澤監督の声がかすれていたからね。でも、3人で『オレたちはプロでやってきたけど、この子たちは違う。焦らないでやろう』と話した」。

 未成年の禁酒禁煙は当たり前のこと。ルールを守り、時間を守る。


 樋澤監督 大人だったら、きちんとやろうとね。もし、おかしな行動をした者がいたら、全員を集める。名前は出さないけど、こういう行動についてどう思うかとね。社会に出て通用する大人になっていかないといけないから。


 勝利の話より、技術の話より、「社会に出てから」という言葉ばかりが出てくる。

 それは巨人で寮長を務めていた時代の経験が影響している。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 樋澤監督が寮長時代の2005年に育成選手制度が始まった。

 チャンスが広がる。育成制度でそういう側面が出たことも事実だ。巨人からも山口鉄也や松本哲也が育成で入団して1軍で活躍した。だが、チャンスをつかめない選手を何人も見てきた。


 樋澤監督 育成選手を一気に7人も獲得した年(06年)があってね。聞けば就職が決まっていたのに、声をかけられて入ってきた選手もいる。それなのに、たった1年でクビってこともある。スカウトに「何でとってきたんだ?」って聞いたら、人数合わせだって。当時の代表が育成の人数を増やしたがっていたんだよ。それで将来を変えちゃいけないよね。「しっかり就職の世話してやれよ」と言った。


 ノイローゼのようになってしまった選手もいた。


 樋澤監督 入ってきたはいいけど、ついていけなくてね。もう、どうしていいか分からなくなる選手もいた。朝、話をして「とにかく練習に行ってきなさい」と言って、また戻ってきたら話をして。


 寮ではよく若手選手を集めた。


 樋澤監督 この世界にいるからには、1日でも長くユニホームを着られるよう頑張りなさい。何度も言ったね。どうやったら生き残れるか。ケガをして戦力外になるかもしれない。だったらケガをしない体作り、食事をバランスよく食べる。そういうことからやりなさいと。とにかく考え、実践するように言ったね。


巨人のスコアラーだった2004年、阪神の春季キャンプを訪れた樋澤氏
巨人のスコアラーだった2004年、阪神の春季キャンプを訪れた樋澤氏

 樋澤監督の現役時代、巨人は多摩川で練習をしていた。当時、言い伝えがあったという。


 樋澤監督 赤とんぼが体に止まった選手はクビだって言われた。とんぼが止まるってことは動いていない。動いていないヤツはダメだって。選手を続けたければ動けってこと。不安がっている暇があったら、悔いを残さず全部やれって意味だと思うよ。


 必死に取り組んでも全員が成功するわけではない。そういう厳しい世界だと、よく分かっている。

 プロに入ってくるような才能ある選手でも、野球だけでは生きていけない。

 だから大学生に伝える。野球より前に社会人として大切なことを。


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 就任時の部員は25人程度だったが、翌年に45人が入ってきた。今では130人を越える。


 樋澤監督 うちはスポーツ推薦もないから、高校生に声もかけられない。でも、選手たちが後輩に声をかけたりしてくれているのかな。それにインターネットなどで調べて希望してくれる選手も増えた。うれしいことだね。


 グラウンドも体育の授業と兼用で、強豪校に比べて恵まれているわけではない。だが、樋澤監督は必ず全員に練習機会を与える。声出しや球拾いだけでは絶対に終わらせない。


 樋澤監督 授業が大変で、公式戦も免除がないから選手層を厚くしておかないといけない。そういう事情もあるけど、野球をやりたくて入ってくるわけだから。


 玉川大は首都大学リーグ2部に所属しており、初年度の14年は春秋とも最下位だった。翌15年は春秋とも5位。16年の秋には4位まで上がった。17年は春8位、秋7位と苦しんだが、今後の成長次第ではプロも狙える期待の選手もいる。少しずつ成果は出ている。


 樋澤監督 最近は私が言わなくても、先輩が後輩に伝えてくれるようになってきた。上級生には「我々は技術を教えるから、君たちが礼儀とかケジメを教えなさい」と言っているんだ。やっとサークルを脱して野球部らしくなったね。


玉川大学で指導する樋澤監督
玉川大学で指導する樋澤監督

 志半ばでプロ球界を去った元巨人の選手は、今でも定期的に連絡をくれるという。それが樋澤監督にとって何より楽しみだという。


 樋澤監督 学校の先生になったり、会社員になったり。みんな頑張っているよ。


 今後は玉川大の卒業生からの連絡も加わる。


 樋澤監督 そうなったらいいな。社会に出てからが勝負だから。みんながいろんな世界で活躍してくれればいい。私もこの年でユニホームを着て、若者と野球ができるのは本当に幸せだよ。


 野球を通じた教育で多くの「あまちゃん」たちを世間に旅立たせる。それが樋澤監督の目標だ。【飯島智則】