前橋育英(群馬)橋本健汰一塁手(3年)が、破れはしたが夢の舞台で全力プレーを見せた。

 野手転向3カ月。「ケガした時はこんなところでやれるわけないと思っていた。頑張ってきてよかった」。涙をみせず、やりきった表情で話した。

 橋本は「エースになって甲子園に行く」と前橋育英に進学したが、度重なるケガで、投手として思うような結果を残せなかった。1年生の9月に左膝半月板断裂で手術。3年生の3月には投手として致命的な右肘靱帯(じんたい)損傷のケガを負った。

 今年の5月中旬に投手をあきらめ、野手転向を決意した。「元々打撃には自信があったが、投手練習が主で打撃練習はあまりできていなかった。野手ほど振れていなかったし、焦りしかなかった」と2日に1度100球のティーバッティングを居残りで行うなど必死で野手として努力した。そのかいあり群馬大会では打率4割の成績を残しレギュラーに定着した。

 ケガ中に支えてくれたのは両親だった。群馬県館林市の自宅から寮に橋本を迎えに行き、栃木県佐野市の病院までリハビリに連れて行った。往復5時間ほどの道のりを週に1度走った。母令子さん(47)は「あきらめずにやってもらいたいという思いから、できることはやってあげよう」と手間を惜しまなかった。

 1回戦の前に橋本は「親に泣いたり迷惑をかけた。夢の舞台に来ている。親に甲子園の姿を見せたい」と話していた。甲子園で安打は出なかったが「ケガをした膝で全力疾走している姿を見せられた」と元気な姿を見せた。息子の姿を令子さんは「あらためて努力のすばらしさを感じた」とスタンドから見守った。

 膝の状態もあり今後も野球を続けるか未定だが、将来に夢は決まっている。「理学療法士になりたいです。自分がしてもらったように人を助けられるようになりたい」。勝ち負け以上に大切なことを学んだ3年間だった。